カールツァイス会社(英語表記)Carl Zeiss

改訂新版 世界大百科事典 「カールツァイス会社」の意味・わかりやすい解説

カール・ツァイス[会社]
Carl Zeiss

ドイツの精密・光学機器メーカー。高級一眼レフカメラ〈コンタックス〉で有名。19世紀の半ばヨーロッパでは,顕微鏡が科学研究の手段として見直され,高性能な顕微鏡への需要が高まっていた。こうした状況下,C.ツァイス(1816-88)によって1846年,イェーナにつくられた顕微鏡製作所がカール・ツァイス社の始まりである。66年,ツァイスはイェーナ大学数学・物理学講師E.アッベを招いた。アッベは72年に光学計算による世界初の顕微鏡を完成するなど同社の技術水準を飛躍的に高めた。その後,ガラス研究者オットー・ショットの協力を得て,84年イェーナにドイツ初の光学ガラス工場ショット社を設立,光学ガラスが国産されるようになるとともに,新しい光学ガラスを採用したツァイスの顕微鏡は,国外でも知られるようになり,生産台数も急増した。88年ツァイスの死でアッベがオーナーになったが,89年アッベはその権利を〈カール・ツァイス財団〉を設立してこれに与えた。その後同社は,単なる顕微鏡メーカーから光学の総合メーカーへと発展,1920-30年代の黄金時代を迎えた。第2次大戦後,イェーナはアメリカ軍が占領ヤルタ会談ソ連の管理下に入った。45年アメリカ軍のトラックでイェーナから西ドイツへ向かった財団の経営スタッフ,工場の研究スタッフ126人は,46年ハイデンハイム近郊のオーバーコッヘンに移り,企業再建に立ち上がり15年で復旧させた(カール・ツァイス・オーバーコッヘン社)。またマインツにショット社を再建。現在,その企業規模はドイツの製造業中でも70位前後とそう大きくはないが,技術水準は高く,とくに専門研究機器分野では世界のトップに位置する。また,ツァイス・イコン社等の傘下企業とともに〈ツァイス・グループ〉を形成している(カール・ツァイス財団が経営)。なおイェーナの工場は,東西分裂時代は東ドイツに帰属し,VEBカール・ツァイス(通称カール・ツァイス・イェーナ社)として戦前を上回る生産を続けてきた。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のカールツァイス会社の言及

【イェーナ】より

…人口10万2000(1995)。カール・ツァイス(通称カール・ツァイス・イェーナ社)の顕微鏡,精密測定機具などのほか,高性能ガラス,薬品製造が盛ん。ヨハニス教会(11世紀),市庁舎(14世紀)のある旧市街と今に残る城壁の一部,ツァイス社を中心とする新市街がザーレ川の谷あいに調和よく町を形成している。…

【顕微鏡】より

…これは直ちに成果を生むことにはつながらなかったが,光学ガラスの研究と改良に見通しが与えられ,18世紀末(1791)に至ってオランダのビールドスナイダーF.Beeldsnijderによって色収差なしの複合レンズをもった高倍率の顕微鏡が初めて作られた。これは1830年代に入ってさらに改良され,46年にはカール・ツァイス社が設立されて,顕微鏡が商品として市場に現れるようになった。このころにはまた,解剖学の組織固定や染色の技術がとり入れられ,組織や細胞レベルの観察研究が飛躍的に発展しはじめ,細胞説(1838,39)の提唱を迎える素地をつくった。…

【ツァイス】より

…ワイマールの生れ。シュトゥットガルト,ベルリンなどの機械工場で修業をした後,1846年にイェーナに精密機械工場を設立し,後年のカール・ツァイス社の基礎を作った。イェーナ大学の植物学者M.J.シュライデンから求められ,顕微鏡を製作するようになり,弟子のレーバーの協力を得て,50年代には拡大率300倍の複式顕微鏡の製作を始めた。…

※「カールツァイス会社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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