ガンビア(英語表記)Gambia

翻訳|Gambia

精選版 日本国語大辞典 「ガンビア」の意味・読み・例文・類語

ガンビア

(Gambia) アフリカ大陸の西端の共和国。大西洋に面し、三方をセネガル共和国に囲まれる。ガンビア川が東西に貫流して、流域に平野を形成。首都バンジュール。一七八三年以来イギリス植民地。一九六五年英連邦の一員として独立、一九七〇年共和国となる。落花生の栽培が盛ん。

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改訂新版 世界大百科事典 「ガンビア」の意味・わかりやすい解説

ガンビア
Gambia

基本情報
正式名称ガンビア共和国Republic of the Gambia 
面積=1万0689km2 
人口(2011)=180万人 
首都バンジュルBanjul(日本との時差=-9時間) 
主要言語=英語,マンデ語ウォロフ語 
通貨=ダラシDalasi

西アフリカの西端部,ガンビア川沿岸を領域にもつ共和国。国土は,東から西に流れるガンビア川に沿って,幅20~45km,長さ300kmと細長く,セネガル領内に深くくさび形に入り込んだ形をとっている。面積的にアフリカで最も小さい国の一つで(香川・愛媛・徳島の3県の合計よりやや小さい),かつてはイギリスのアフリカで最も古い植民地であった。

国土は,首都バンジュルのあるガンビア河口のセント・メアリー島と河口から直線距離で300km上流までのガンビア川沿岸一帯とからなっており,すべて標高100m以下の低地で,湿地も多い。気候は全体的にサバンナ気候に属し,6~10月が雨季,11~5月が乾季となっている。年降水量は,海岸と内陸とで異なるが,約750~1250mm程度であり,その大部分は雨季に降る。植生は全体にサバンナであるが,部分的には熱帯雨林もみられる。
執筆者:

住民はガンビア川の狭い両岸に居住し,人口密度は90.8人/km2(1993)と,アフリカとしては稠密である。おもに五つの部族があるが,A.ヘイリーの《ルーツ》で著名なマンディンゴ族の人口が最も多く,ガンビア川下流の沼沢地を開拓し,稲の栽培を行っている。マンディンゴ族は13世紀に東から入ってきたが,イスラムを持ち込み,ガンビア川流域に小王国を形成した。その結果,今日ガンビア住民の90%はイスラム教徒である。隣国セネガルの主要部族でもあるウォロフ族は19世紀後半より入ってきたが,首都バンジュルの支配的住民として商業を営むかたわら,商品作物のラッカセイ栽培も行う。フルベ(フラニ)族は上流地域で牛を飼育する牧畜民である。ジョラ族はマンディンゴ族に追われ,イスラム化に抵抗して河口から南に追いやられた。セラフリ族はマンディンゴ族と同じくマンデ語グループに属するが,おもに東部に居住し商業に従事している。ガンビアは植民地化のいきさつから英語を公用語とする英語圏に入ったが,この国をすっぽり包みこむ形の隣国セネガルがフランス語圏であるため,言語の違いが両国間の行き来の障害の一つとなっている。
執筆者:

ポルトガルエンリケ航海王子に雇われたベネチア人カダ・モストは,15世紀半ばにガンビア河口に到達し,16世紀にイギリス人商人がこの地方に交易拠点を置いた。1816年にイギリス政府は,ガンビア河口のセント・メアリー島に奴隷貿易取締基地バサースト(現,バンジュル)を建設した。その後,イギリス領シエラレオネの管轄下に入り,1843年にシエラレオネから分かれ,66年から一時期,イギリス領西アフリカ植民地に組みこまれたが,88年に再び別個の植民地となった。1860年代から70年代には,英仏間の領域拡大にあたって取引材料として取り扱われたが,89年の両国間の協定でフランス領セネガルとの国境が確定した。

 1888年から1945年までの間,イギリス植民地政府は,バサーストを主都として少数の官吏によって統治し,主都圏以外の保護領では伝統的首長の支配にまかせるという間接統治方式をとった。主要輸出産品は,19世紀末からラッカセイだけであった。1945年以降,バサースト港の改良,道路網の整備が進められ,輸出品目の多角化計画として鶏卵増産がとりあげられたが失敗した。

 独立運動は50年代にようやく動き始めた。60年の選挙に際して,保護領住民のマンディンゴ族を基盤にして保護領人民党がダビッド・ジャワラDavid Jawaraによって組織され,統一党(UP。1951年創設で,ウォロフ族を支持基盤とする)に勝った。しかし,総督は統一党のP.S.ヌジーを首相に任じた。62年の選挙では,名称を人民進歩党(PPP)と変更したジャワラの党が再び勝利を獲得し,イギリスとの独立交渉を進めた。65年2月18日,独立を達成し,共和制移行についての国民投票は過半数を得なかったが,ジャワラが首相に就任した。65年にダビッド・ジャワラはイスラムに改宗し,ダウダ・ジャワラDauda Jawaraと改名した。70年4月の再度の国民投票によって共和制移行が決定し,ジャワラが初代大統領になった。

1970年の国民投票で制定された憲法は,一院制の議会を定めている。1966年以降野党であった統一党はしだいに衰退し,72年,77年の選挙では,PPPが圧倒的勝利をしめた。その後,農村部のマンディンゴ族の支持を得た国民会議党(NCP),首都の過激派を動員した国民解放党(NLP)が組織され,NCPが主要な野党となった。

 セネガルとの協力関係は,独立後,独立を維持したまま,経済,政治,文化の各面で進められた。1967年に両国間連携協定が結ばれ,73年にジャワラ大統領が両国の統合問題についてセネガルを訪問し,統合が不可避であることを認めたが,直ちに政治的統合を実施することには反対した。78年にはガンビア川開発機構が組織され,両国間の関係はより緊密化した。

 81年7月,大統領の訪英中に急進左翼によるクーデタが起こり,一時,バンジュルは占拠されたが,ジャワラ大統領はセネガル軍の派兵を要請して制圧した。この事件を契機に同年11月,セネガルとの間に国家連合confederationを結成する協定を結んだ。この協定により,82年2月,国家連合はセネガンビアSenegambiaという名称のもと,ディウフ・セネガル大統領が大統領に,ジャワラ・ガンビア大統領が副大統領になって発足した。セネガンビア国家連合は一面,従来の両国間の協力関係の継続であったが,より緊密な政治的・経済的統合を意図するセネガルと,経済的に弱体であり,主権を維持したままの統合を考慮するガンビアとの間の亀裂が明確となり,両国の合意により89年9月解体した。

 1982年,87年,92年の選挙でもPPPが勝利し,ジャワラは72%,59%,58%の得票率で大統領に再選された。94年7月,ヤヒヤ・ジャメYahya Jammeh大尉による軍部クーデタが発生し,ジャワラは国外に脱出した。軍部暫定政権は憲法を停止し,政党活動を禁止した。民政移管が進められ,96年8月,新憲法が国民投票の結果承認された。新憲法は,複数政党制,一院制の国会の設置を定め,国会は3分の2の賛成により,内閣だけでなく大統領をも解任できると規定している。政党活動は解禁されたが,1994年クーデタ以前から活動していたPPPやNCP,ガンビア人民党(GPP)は認められなかった。ジャメは愛国再建同盟(APRC)の候補として大統領選挙に臨み,統一民主党(UDP)のO.ダルボを破って当選した。97年1月の議会選挙でもAPRCが33議席を獲得して勝利し,UDPがそれに続いた。

総輸出額の80~90%を占めるラッカセイ,ラッカセイ油が経済活動の中心である。総栽培面積の60%を占め,約4分の3の労働力人口が従事している。ラッカセイの世界市場価格の不安定性,降雨量による生産量の大幅な変動は,経済をさらに脆弱化させている。換金作物以外に,米,キビ,モロコシなどの食料作物を耕作しているが,輸入に依存している。製造業は,ラッカセイなどの食品加工に限られている。経済活動の多様化のため,水稲増産計画が中国の援助を受けて進められているが,まだ自給の域に達していない。漁業開発計画で,EU,日本,イタリアなどの援助を受け,エビ・魚類は輸出品になっている。

 1990年代初期の主要貿易相手国は,輸出ではベルギー,イタリア,日本,輸入では香港,中国,イギリスである。輸出品目ではラッカセイ,ラッカセイ油が圧倒的で,エビ・魚類がそれに続く。輸入品目では軽工業品,機械・輸送機器,食料品など。またガンビアは近隣諸国よりも関税率が低いため,再輸出される比率が高い。1960年代半ばから,ヨーロッパ(おもに北欧,イギリスなど)からの団体観光客を受け入れはじめた。ジャワラ政権下に観光施設が整備され,80年代末には年間入国者は10万人を超え,この国最大の外貨獲得産業になった。ただし治安などの条件によって収入額は安定していない。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ガンビア」の意味・わかりやすい解説

ガンビア
がんびあ
Republic of The Gambia

西アフリカの西端にある共和国。ガンビア川に沿う細長い国土は、ちょうどセネガルに指を突っ込んだような形をなす。面積1万1295平方キロメートルで新潟県より狭い。人口151万(2006推計)、170万(2009推計)。人口密度は1平方キロメートル当り151人(2009)。1965年イギリス連邦内の自治国として独立、1970年共和国となった。首都はガンビア川河口のセント・マリー島にあるバンジュル(旧名バサースト)で人口は40万6000(2007年推計)。国民の約半分が農民で、主としてラッカセイを栽培する。1人当り国民総所得(GNI)は390ドル(2008)と低い。国土を囲むセネガルとの統合は何度も計画された。1982年に合邦が実現しセネガンビア連邦を発足させたが、1989年合邦破棄。

[藤井宏志]

自然

国土はガンビア川中・下流の延長470キロメートルの河谷に、20~50キロメートル幅で細長く延び、沿岸の沖積平野には耕地や疎林が広がっている。海水の影響を受ける下流の河岸や海岸にはマングローブがみられる。ガンビア川は急流や滝がなく乾期にも水量があるので、3000トンの船が280キロメートル上流のジョージタウンまでさかのぼれる。気候は、サバナ気候の一種の熱帯スーダン気候(熱帯降水不安定気候)に属し、乾期(11~6月)と雨期(6~10月)が明瞭(めいりょう)で、年降水量は1200ミリメートル前後である。雨期に雨がないと干魃(かんばつ)の被害を生じることが多い。3~6月はきわめて暑く、12月から翌年の4月にかけては比較的涼しく過ごしやすい。

[藤井宏志]

歴史

15世紀なかばポルトガルの船がガンビア川河口の入り江に入り、1588年からイギリス商人の勢力下に置かれ、奴隷や象牙(ぞうげ)を積み出した。17世紀後半から18世紀後半にかけイギリスとフランスの争奪の場となったが、1783年以後イギリスの植民地となり、1889年フランスとの協定でセネガルとの国境線が確定した。第二次世界大戦後の1954年9月の憲法制定で自治政府への一歩を踏み出し、1962年4月新憲法発布、1963年10月に内政の自治を認められ、1965年2月18日イギリス連邦内の独立国となった。1970年4月には共和国を宣言、初代大統領には首相で人民進歩党(PPP)党首のダウダ・ジャワラSir Dawda Jawara(1924―2019)が就任した。

 1982年2月セネガルとの統合により「セネガンビア連邦」が発足したが、完全統合論のセネガルと主権維持論のガンビアが対立し、1989年協定破棄。1994年7月、軍によるクーデターでジャワラは失脚、中尉ジャメYahya Jammeh(1965― )が統治評議会の議長に就任し、1996年7月までに憲法制定、民政移管を行うとした。

[藤井宏志]

政治・経済

1996年8月、国民投票により新憲法が成立。同年9月、憲法に基づく複数政党制で大統領選が行われ、愛国再建同盟(APRC)のジャメが当選し、10月大統領に就任した。1997年1月の議会選挙でも与党APRCが49議席中33議席を占め、ほかは統一民主党が7議席、国民和解党が2議席などであった。1996年9月、政府は長期計画「ビジョン2020」を発表。インフラ(経済基盤)整備、工業化促進、農産物の増産などを目標としている。2001年10月に行われた大統領選でジャメが再選された。2006年9月の大統領選挙でもジャメが当選(三選)、翌2007年1月の議会選挙も与党APRCが勝利した。

 産業面ではラッカセイが作付面積の80%、ラッカセイおよびラッカセイ油が総輸出額の18%を占めるラッカセイ・モノカルチュア(単一作物生産)の国である。このほか、商品作物としてアブラヤシ、綿花、ライム、タバコ、カシューナッツ、自給作物では米、アワ、モロコシ(ソルガム。イネ科の穀物)、トウモロコシ、キャッサバ(南米原産の根茎作物。根を食用とし、タピオカの原料となる)、バナナなどを栽培する。牧畜も盛んで、ウシ33万頭、ヒツジ・ヤギ43万頭を飼育する。有用木材ではマホガニーがあり、家具や容器になる。淡水漁業、沿岸漁業が行われ、エビの漁獲がある。地下資源はまだみるべきものはないが、石油の探査が行われている。工業は未発達で、ラッカセイ、アブラヤシの製油工場や水産加工工場があるのみである。輸出品目はラッカセイおよびラッカセイ油が32.8%、水産物が25.6%、輸入品目は日用工業製品、食料品、機械類などである。貿易収支は大幅な輸入超過である。主要輸出相手国はセネガル、イギリス、フランス、輸入相手国はデンマーク、中国、イギリスである。他の西アフリカ諸国と同様にレバノン商人が活躍する。セネガルとは統計にのらない貿易が行われている。河川交通が発達し、バンジュルが中心貿易港で、国際空港もある。

[藤井宏志]

社会・文化

国民は複数の部族からなり、中央から西部へ住むマンディンゴ人(42%)、東部のプール人(18%)をはじめ、ウォロフ、セレル、ジウラ、アク(解放奴隷の子孫)の各部族がある。各部族語が話されるが、公用語は英語である。宗教は90%がイスラム教(イスラーム)で、残りはキリスト教、アニミズムである。年人口増加率は2.7%と高い。平均余命は男56歳、女57歳(2007)である。医師1人当りの国民数は1万4536人(1996)である。教育は、義務教育の小学校の上に工業学校、中学校、高校、師範学校、農業専門学校がある。小学校の就学率は74%(2006)である。ガンビアには同性愛は違法とする刑法が残っており、大統領のジャメは2008年、同性愛者は国外退去あるいは斬首(ざんしゅ)(死刑)にすると述べ、国際人権団体から抗議を受けた。ラジオ・テレビは国営局と商業局があり、新聞は政府紙と数社の一般紙がある。ユネスコの世界遺産(文化遺産)に「クンタ・キンテ島と関連遺跡群」「セネガンビアのストーン・サークル群」が登録されている。

 日本へは、初代大統領ジャワラが3回来訪し、日本から水産技術協力を受けている。貿易では日本から鋼板、合繊織物、自動車などを輸入しており、日本の輸出超過である。

[藤井宏志]

『バークレー・ライス著、杉辺利英訳『愉快なガンビア建国記』(1968・朝日新聞社)』


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百科事典マイペディア 「ガンビア」の意味・わかりやすい解説

ガンビア

◎正式名称−ガンビア共和国Republic of The Gambia。◎面積−1万690km2。◎人口−188万人(2013)。◎首都−バンジュールBanjul(3万人,2013)。◎住民−マンディゴ人,フルベ(フラニ)人,ウォロフ人など。◎宗教−イスラム90%,民族固有の宗教。◎言語−英語(公用語)のほか,マンデ語,ウォロフ語など民族語。◎通貨−ダラシDalasi。◎元首−大統領,ジャメYahya Jammeh(1965年生れ,1994年7月クーデタで政権獲得,1996年9月就任,2011年11月4選)。◎憲法−1996年8月国民投票で承認,1997年1月発効。◎国会−一院制(定員53,うち5は大統領が任命,任期5年)。最近の選挙は2012年3月。◎GDP−8億ドル(2008)。◎1人当りGNP−310ドル(2006)。◎農林・漁業就業者比率−80%(1997)。◎平均寿命−男57.5歳,女60.2歳(2013)。◎乳児死亡率−57‰(2010)。◎識字率−45%(2008)。    *    *西アフリカ,大西洋岸,イギリス連邦内の共和国。国土はガンビア川沿いに最大幅50km,長さ約300kmで東西に細長く,三方をセネガルに囲まれる。おもにサバンナ地帯。農業が主でラッカセイが主要輸出品。米も栽培される。 16世紀後半に英国商人がガンビア川沿いに交易拠点を置いた。遅れて進出してきたフランスとの抗争の後,1783年の条約で英領とされた。1963年内政自治権を獲得,1965年イギリス連邦内で独立し,1970年共和制に移行した。政治・経済的にセネガルとの結びつきが強く,1982年―1989年独立を維持したまま,セネガンビア連邦という国家連合を結成した。1994年軍がクーデタを起こし,軍政となったが,1997年民政に復帰。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ガンビア」の意味・わかりやすい解説

ガンビア
The Gambia

正式名称 ガンビア共和国 Republic of The Gambia。
面積 1万689km2
人口 228万6000(2021推計)。
首都 バンジュル

アフリカ大陸西端部の国。三方をセネガルに囲まれ,西は大西洋にのぞむ。東西に細長い国で,ガンビア川に沿う。国土全体が標高 100m以下の低地で,河岸は狭い森林帯,ほかは全般的にサバナ。かなり乾燥した熱帯気候で,年平均気温は西部で 25℃,東部で 28℃。 1455年ポルトガル人が到来,1588年ポルトガル人はガンビア川における独占通商権をイギリス商人に売却,以後イギリスの勢力下に入った。 1681年頃からフランス人が進出,両国が領有を争ったが,1783年のベルサイユ条約により,イギリス支配に帰した。一時はシエラレオネ植民地や西アフリカ植民地の一部となったが,1889年セネガルとの境界が確定,1894年単独のイギリス保護領となった。 1954年から次第に自治権を拡大し,1965年独立。 1970年共和国となった。 1982年セネガルとセネガンビア連邦を結成したが,1989年解体。主産業はラッカセイ栽培で,経済はラッカセイとその加工品の輸出に依存。ほかの輸出品はパーム核,皮革,蜜ろう,干し魚など。自給用としては米,トウモロコシ,ミレットなどを産し,牧畜,漁業も行なわれる。工業は落花生油製造など食品加工業が主。おもな住民はマリンケ族をはじめウォロフ族,ジョラ族,フラニ族 (→フルベ族 ) などで,セネガルとほぼ共通。セネガルからラッカセイ栽培に従事する多数の季節労働者が来ている。 90%以上がイスラム教徒。公用語は英語。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ガンビア」の解説

ガンビア
Gambia

西アフリカ,ガンビア川流域の細い帯状地域を国土とする共和国。旧イギリス領植民地。セネガルに3方を囲まれ,住民はマンディンゴ人を主とするものの民族構成としてはセネガルと同様であるため,合わせてセネガンビアと称されることもある。1965年独立。70年に共和政に移行。産業化が遅れていることもあり,政権は不安定で90年代以降クーデタが頻発している。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

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