キイタップ(読み)きいたつぷ

日本歴史地名大系 「キイタップ」の解説

キイタップ
きいたつぷ

漢字表記地名「霧多布」のもとになったアイヌ語に由来する地名。場所名のほか島や港の名称としても記録されている。元禄郷帳に「きいたつふ」がみえるが、「くるみせ島の方」とあり、当地に比定するのはむずかしい。天保郷帳には「東地嶋々之分」として「アツケシ持場」のうちに「キイタツプ」がみえる。片仮名表記は「キイタツプ」(「北海随筆」「蝦夷拾遺」、武藤「蝦夷日記」、「蝦夷日誌」三編)、「キイタツフ」(「蝦夷志」「蝦夷草紙別録」「蝦夷拾遺」「蝦夷巡覧筆記」「北夷談」、木村「蝦夷日記」、「東海参譚」「東蝦夷地場所大概書」「東行漫筆」「蝦夷人物誌」、「蝦夷日誌」一編、「行程記」、「戊午日誌」能都之也布誌)のほか「キイタフ」(「蝦夷商賈聞書」「夷諺俗話」、木村「蝦夷日記」)などもあり、平仮名では「きいたつぶ」(享保十二年所附)、「きいたつふ」「きりたつふ」(寛政蝦夷乱取調日記)がみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内のキイタップの言及

【国後・目梨の戦】より

… シャクシャインの戦が敗北して以来,アイヌ民族に対する松前藩の支配が一段と強化され,とりわけ元禄・享保期(1688‐1736)に場所請負制が成立するや,アイヌ民族は交易相手から漁場の労務者へと変質させられていった。しかしアッケシ(厚岸)・キイタップ(霧多布)・国後など,いわゆる〈奥蝦夷地〉のアイヌ民族と松前藩の関係は若干異なった状況にあった。アッケシには寛永年間(1624‐44)藩主の交易場として商場(あきないば)が設置され(〈蝦夷地交易〉の項目参照),次いで1701年キイタップに,54年(宝暦4)国後に設置されたものの,3商場の経営は73年(安永2)まではアイヌ民族との交易を主軸とするもので,翌74年以降3商場が飛驒屋久兵衛の請負となった後も,数年間は交易を主とするものであった。…

※「キイタップ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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