キェルジーの勅令(読み)きぇるじーのちょくれい

世界大百科事典(旧版)内のキェルジーの勅令の言及

【カロリング朝】より

フランク王国の後期王朝(752‐987)。カール大帝の名をとってカロリング朝とよばれる。アウストラシア宮宰ピピン1世とメッツ司教アルヌルフとの家系から生じ,しだいに全宮宰職を獲得した。特にカール・マルテルトゥール・ポアティエの戦での勝利(732)は,この家系の令名と実力とを高め,その子ピピン3世は王をしのぐ実権を握っていた。当時の西欧は,メロビング朝の衰退に伴い,ビザンティン帝国,イスラム教徒,スラブ族等にかこまれた崩壊寸前の小島のごとき状態にあり,これを統一させて救うために,教皇ザカリアスは,真に実力あるものが王権を握るべきであるとの意向を示し,聖ボニファティウスはフランク人をして,ピピン3世をフランク王に選ばせ,彼に塗油した(752年。…

※「キェルジーの勅令」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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