キセリョフ(英語表記)Pavel Dmitrievich Kiselyov

改訂新版 世界大百科事典 「キセリョフ」の意味・わかりやすい解説

キセリョフ
Pavel Dmitrievich Kiselyov
生没年:1788-1872

帝政ロシアの政治家,伯爵。対ナポレオン戦争従軍後,アレクサンドル1世の侍従武官となる。1819年からウクライナ駐屯第2軍参謀長,配下にはペステリなど後のデカブリストたちがいた。28-29年の露土戦争後,モルドバワラキア統治を委任された。すでに1816年に漸進的農奴解放を主張する覚書皇帝に提出していたが,35年からはニコライ1世の農民問題秘密委員会において進歩的な委員として活躍,37年には新設の国有財産省の大臣に就任,41年にかけて国有地農民の主として行政上の大規模な改革を実施した。この〈キセリョフの改革〉は,後に自由主義者により高く評価されたが,ソ連学界では,その進歩的側面にもかかわらず,結果として国家による農民管理を強化したと評価されている。56-62年パリ駐在のロシア大使,その間57年には農奴解放草案をアレクサンドル2世に提出している。
農奴解放
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のキセリョフの言及

【ニコライ[1世]】より

…こうして治安,教育行政,司法をひきしめるとともに,国内の騒擾(そうじよう)のおもな原因であった農民問題を農奴制の枠内で解決しようとした。しかし彼の側近のP.D.キセリョフが提案した国有地農民に対する行政改革(1837‐41),〈義務農民(土地利用の代償として地主に貢納もしくは賦役の義務を負う農民)〉に関する勅令(1842)は,いずれも期待されたほどの効果をあげえなかった。 対外政策の面では,ニコライの第1の目標は,ヨーロッパにおける革命運動を鎮圧すること,つまり〈ヨーロッパの憲兵〉の役割を果たすことであった。…

※「キセリョフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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