ギルマン(英語表記)Guillemin, Roger Charles Louis

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ギルマン」の意味・わかりやすい解説

ギルマン
Guillemin, Roger Charles Louis

[生]1924.1.11. ディジョン
フランス生まれのアメリカ合衆国の生理学者。フランスのディジョンとリヨンカナダモントリオールの大学で学んだのち,1953~70年アメリカのベイラー医科大学で教鞭をとった。この間の 1960~63年コレージュ・ド・フランスの実験内分泌学部門副部長を務めた。1963年にアメリカ市民権を取得。1970年カリフォルニア州ラホヤのソーク生物学研究所教授に就任,1971年からはカリフォルニア大学サンディエゴ校医学部教授を兼任した。ベイラー医科大学ではイギリスの解剖学者 G.W.ハリスの仮説の立証を試み,視床下部から分泌されるホルモンが脳下垂体(下垂体)への連絡機能をもち,脳下垂体からのホルモン分泌の調節に関与していることを実証した。その後,視床下部ホルモンの分離・合成の研究に取り組み,1969年アンドルー・V.シャリーとともに,甲状腺刺激ホルモンサイロトロピン)の放出を調節するサイロトロピン放出因子の分離・同定に成功。1973年にソマトスタチンの発見に成功し,糖尿病および消化器の潰瘍の治療薬として期待された。1977年ロザリン・S.ヤロー,シャリーとともにノーベル生理学・医学賞を受賞した。

ギルマン
Gilman, Alfred Goodman

[生]1941.7.1. コネティカット,ニューヘーブン
[没]2015.12.23. テキサス,ダラス
アメリカ合衆国の薬理学者。1962年エール大学卒業後ケース・ウェスタン・リザーブ大学で学び,1969年博士号取得。1969~71年アメリカ国立衛生研究所,1971~81年バージニア大学勤務後,1981年からテキサス大学サウスウェスタン医学センター薬学部長。マーチン・ロッドベルが 1960年代に提唱した,G蛋白質が受容体から酵素へ情報を伝達する中継機構の役割を果たしているとする学説を発展させ,1970年代に,細胞膜にある G蛋白質遺伝子を欠損させたリンパ球による実験で,G蛋白質の細胞内情報伝達への関与を証明した。その後も多くの G蛋白質を単離,精製し,その構造を特定し,細胞膜の受容体から G蛋白質を介した細胞内情報伝達機構の解明にあたった。この研究は G蛋白質異常が関与するコレラや癌など,多くの疾患の解明に多大な貢献した。その功績により 1994年,ロッドベルとともにノーベル生理学・医学賞を受賞。

ギルマン
Gilman, Daniel Coit

[生]1831.7.6. コネティカット,ノーウィッチ
[没]1908.10.13. コネティカット,ノーウィッチ
アメリカの教育家。ジョンズ・ホプキンズ大学初代総長。 1852年エール大学を卒業,ロシア大使館員としてペテルブルグに駐在,54~55年ベルリンに留学。帰国後 17年間エール大学に在職ののち,72~75年バークリーのカリフォルニア大学学長,75~1901年ジョンズ・ホプキンズ大学総長。その後 04年までカーネギー財団初代理事長。高等教育,教育事業の助成,振興などに貢献した。

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化学辞典 第2版 「ギルマン」の解説

ギルマン
ギルマン
Guillemin, Roger C.L.

フランス生まれのアメリカの生化学者.1943年ディジョンの医学校に入学,1948年からカナダのモントリオール大学に留学し,ストレス学説で有名な内分泌学者H. Selyeの実験医学研究所で内分泌系の研究をした.1949年にリヨン大学論文を提出して医学の学位を取得.卒業後ふたたびカナダに渡り,モントリオール大学で1953年に生理学のPh.D.を取得.同年,アメリカのベイラー大学ベイラー医学カレッジに職を得,1970年サンディエゴのソーク研究所の教授となり,1989年に引退.下垂体から出る各種ホルモンは,視床下部から出る物質により調節されていることを証明し,その物質である甲状腺刺激ホルモン放出因子黄体形成ホルモン放出因子,および成長ホルモン放出抑制因子などペプチドホルモンのアミノ酸配列順序を決定し,神経内分泌学の画期となった.脳のペプチドホルモンに関する研究で,1977年A.V. Schally(シャリー)とともにノーベル生理学・医学賞を受賞.二人のし烈な研究競争は有名である.

出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報

大学事典 「ギルマン」の解説

ギルマン
Daniel Coit

アメリカ合衆国のユニバーシティの形成者と呼ばれる高名な学長で,ハーヴァードのエリオットと比肩される。イェール大学で地理学を教え,創設期のカリフォルニア大学長(1872-75)となり,モリル法の適用を受けて農業と工業を教えることを大学の課題とした。農業教育では州の農民団体(グレンジャー)と対立を深めて1875年に大学を去る。その後,請われて新設のジョンズ・ホプキンズ大学の学長(1875-1901)となった。新設された無名の大学を無名の教授陣でどのように優れた大学へと導くかが課題であったが,国内の優れた大学長などの意見を聞き,当時のドイツ大学に比肩し得る教育と研究の機能をもった新しい大学を創設した。世界初の試みである大学院を設置して成功をおさめ,アメリカの大学を世界の大学へと導いた功労者とされる。ギルマンの下で大学院に学び,アメリカの歴史に名を残した人物は,哲学者ジョン・デューイ,歴史家フレデリック・ジャクソン・ターナー,第28代大統領ウッドロウ・ウィルソンなど枚挙にいとまがない。
著者: 羽田積男

出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「ギルマン」の意味・わかりやすい解説

ギルマン
Charlotte Perkins Stetson Gilman
生没年:1860-1935

アメリカの女性解放思想家,評論家,作家。結婚後,独立した人格を失うという恐れから神経衰弱になったが,夫と離れ文筆活動に没頭するうちに立ち直った。著書《女性と経済》(1898)がベストセラーとなり,20世紀初めには重要な思想家として評価されるにいたった。男女の平等のためには女性の経済的自立を必要とし,そのためには家庭のあり方も変えなければならないとし,女性解放への理論を提供したが,婦選運動などの実践活動には加わらなかった。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「ギルマン」の意味・わかりやすい解説

ギルマン

米国の女性解放思想家。女性の経済的自立を説き,女性解放運動に理論的根拠を提供。著書《女性と経済》(1898年)。

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20世紀西洋人名事典 「ギルマン」の解説

ギルマン


ジルマンをも見よ。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

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