クランマー(英語表記)Thomas Cranmer

精選版 日本国語大辞典 「クランマー」の意味・読み・例文・類語

クランマー

(Thomas Cranmer トマス━) イギリス宗教改革者。カンタベリー大司教。教皇首位権や古い教会儀式を排除し、ラテン語に代わる英語祈祷書、四二か条の制定などを行なう。のち、急激な改革に対する反動により、火あぶりの刑に処せられた。(一四八九‐一五五六

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改訂新版 世界大百科事典 「クランマー」の意味・わかりやすい解説

クランマー
Thomas Cranmer
生没年:1489-1556

イギリスの宗教改革者。ヘンリー8世の離婚問題について国王に有利な提言をし,認められて大陸に派遣され,1533年カンタベリー大主教に任ぜられる。ただちに国王とキャサリンの結婚を無効とし,アン・ブーリンとの結婚を認め,以後トマス・クロムウェルとともに宗教改革を推進した。エドワード6世期に《第1祈禱書》(1549),《第2祈禱書》(1552)を出し,53年には《42ヵ条》(エリザベス1世期に《39ヵ条》に改訂)を著して,英国国教会改革主義の基礎確立するとともに,ルター派メランヒトンに改革主義諸教会の統合を提案した。しかしメアリー1世の反宗教改革期には反逆罪で逮捕,異端として破門され,大主教位も剝奪された。一度は教皇権否認などの自説を取り消したが,最後には取消しを撤回して焚刑に処せられた。クランマーは本来,政治的であるよりは,むしろ学者的な聖職者であり,政治的・宗教的な激動期が彼の運命を翻弄したとみてよい。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「クランマー」の意味・わかりやすい解説

クランマー
くらんまー
Thomas Cranmer
(1489―1556)

イギリスの宗教改革者。イングランド教会初代のカンタベリー大司教。国王ヘンリー8世の離婚問題では王のために有利な発言をし、1533年大司教に就任、王とキャサリンとの結婚の無効、アン・ブリンとの結婚の合法性を宣言した。エドワード6世の治下では改革の推進に中心的役割を演じ、「一般祈祷(きとう)書」と「42か条」の制定に大きく貢献した。だがメアリーの即位(メアリー1世)とともに運命は極まり、新しい信仰を守って最後には焚殺(ふんさつ)された。

[植村雅彦 2018年1月19日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クランマー」の意味・わかりやすい解説

クランマー
Cranmer, Thomas

[生]1489.7.2. アスラクトン
[没]1556.3.21. オックスフォード
イギリス国教会(アングリカン・チャーチ)改革者。ケンブリッジ大学に学び,そのフェロー(特別研究員)となる。国王ヘンリー8世の離婚にあたり諸大学からの意見聴取を建議して信任を得,1533年カンタベリー大主教となり,国王のアン・ブリンとの結婚の合法性を宣言。大陸の宗教改革者(→宗教改革)の影響を受け,みずからエドワード6世治下では『一般祈祷書』および『四十二個条』の作成など国教会の新教化をはかったが,メアリー1世のカトリック反動によって処刑された。

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百科事典マイペディア 「クランマー」の意味・わかりやすい解説

クランマー

英国の宗教改革者。ケンブリッジ大学に学び,ヘンリー8世の離婚問題に献策,国王の信任を得た。カンタベリー大主教として教会改革を推進,《第一祈祷書》(1549年),《第二祈祷書》(1552年),《四十二個条》(1553年)を起草。のちメアリー1世によって捕らえられ,火刑に処せられた。
→関連項目クロムウェルサマセット公

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「クランマー」の解説

クランマー
Thomas Cranmer

1489~1556

イングランド国教会の初代カンタベリ大主教。ケンブリッジ大学に学び,聖職につき,ヘンリ8世の離婚問題で解決策を提示し,国王の信任を得て,宗教改革を推進。エドワード6世の治世には,2種の共通祈祷書ならびに「42の信仰箇条」の制定に尽力して国教会の基礎を固めた。カトリックのメアリ1世の即位とともに罷免され,反逆罪でオクスフォードで火刑に処せられた。

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旺文社世界史事典 三訂版 「クランマー」の解説

クランマー
Thomas Cranmer

1489〜1556
イギリスの宗教改革家
カンタベリ大司教として,国王ヘンリ8世とカザリンの離婚を承認。1549年エドワード6世のとき,一般祈禱 (きとう) 書を作成し,イギリス国教会の基礎を確立。メアリ1世の即位後破門され,監禁ののち焚刑に処せられた。

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世界大百科事典(旧版)内のクランマーの言及

【アングリカン・チャーチ】より

…1534年,離婚問題をめぐって教皇と対立したヘンリー8世は国王至上法によってみずから英国国教会の最高首長となり,ローマとの関係を断ち切った。ヘンリー自身は教義・礼拝様式上の変更を許さなかったが,エドワード6世の治世下ではクランマーが祈禱書と《42ヵ条の信仰告白》を作成し,教義上はプロテスタント主義を受け入れながら教会政治・礼拝面では中世教会との連続性を維持する教会の基礎を固めた。メアリー1世の時代に一時ローマ教会に復帰した英国国教会は,8年エリザベス1世の登位によって,ふたたびローマより独立した国民教会として確立した。…

【宗教改革】より

…ヘンリー8世の志向する宗教改革は教皇抜きのカトリシズム,あるいは島国カトリシズムといえる。 プロテスタントとして教育されたエドワード6世が1547年王位につくと,摂政サマセット公は〈六ヵ条法〉を撤廃し,聖職者の結婚を認め,49年の礼拝統一法によって第1祈禱書が確定され,52年ノーサンバーランド公支配下ではより改革的な第2祈禱書が出,翌年T.クランマー大主教はプロテスタント的な信仰箇条〈四十二ヵ条〉を出した。 メアリー1世が即位(1553)するとカトリック復帰がおこり,議会はエドワード6世期の諸法律を廃して47年当時へ戻し,さらに54年の議会はヘンリー8世期の反教皇的諸法律を退けて,宗教改革前の状況を回復した。…

【リドリー】より

…47年ロチェスター主教に選ばれ,50年ロンドン主教に転任。エドワード6世登位後クランマーを助けて宗教改革を推進し,祈禱書,《四十二ヵ条の信仰告白》の作成に加わった。メアリー登位(1553)後,職務を剝奪され,異端宣告を受け,オックスフォードで火刑に処せられた。…

※「クランマー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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