世界大百科事典(旧版)内のクレーマー,H.の言及
【シュプレンガー】より
…ラインフェルデンに生まれ,シュトラスブルクに没した。1477‐88年までケルンのドミニコ会副修道院長をつとめたが,81年以後は異端審問官として魔女裁判に君臨,その審問記録をクレーマーHeinrich Krämer(1430ころ‐1505,別名インスティトリスH.Institoris)との共著《魔女への鉄槌》(1487)にまとめた。同書は以後17世紀にいたるまで版を重ね,とくにその第3部は中欧の魔女裁判における刑罰法典とみなされて,残酷な拷問刑罰を発生させた。…
【魔女】より
…そのためのスケープゴートとして魔女たちを血祭りにあげるいわゆる〈魔女狩りwitch hunting〉が発生した。教会側からみた魔女信仰の調査は,2人のドミニコ会士,J.シュプレンガー,H.クレーマー共著の《魔女の槌》(1486)にまとめられたが,この著作を契機に,魔女狩り,魔女裁判,魔女容疑者への拷問,火刑は15~16世紀における〈一つの産業〉(K.セリグマン)にまで膨張し,その猛威は16世紀末~17世紀初頭に頂点を迎えた。これが宗教改革の時代と重なること,魔女迫害はカトリック,プロテスタントを問わず行われたことは注目に値しよう。…
※「クレーマー,H.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」