クーパー,A.S.(読み)くーぱー

世界大百科事典(旧版)内のクーパー,A.S.の言及

【異性】より

… 異性の起源に関しては,すでにゲイ・リュサックは元素の結合のしかたの違いであることを指摘していた。原子説がしだいに浸透し,F.A.ケクレとクーパーA.S.Couper(1831‐92)の炭素の原子価説(1858)が発表され,炭素の原子量に関する不一致が解決される見通しが立ち(1860,カールスルーエの国際化学会議),ゲイ・リュサックの予言はしだいにはっきりした形で認識されるようになった。61年A.M.ブトレロフは,一つの化合物には一つの化学構造が,その化学構造には一つの原子配列が対応すると述べ,はじめて〈化学構造〉という語を定義した。…

【化学】より

…E.フランクランドは,有機金属化合物の研究を通じて,この種の関係の一般性を認め,各種の原子は一定の結合力すなわち〈原子価〉をもつ,と述べた(1852)。この考え方をF.A.ケクレとクーパーArchbald Scott Couper(1831‐92)は有機化合物に拡張し,炭素の原子価を4とし,かつ他の原子と結合する際原子価を2以上用いた二重結合,三重結合を認めれば,すべての有機物の構造が説明できることを示した(1858ころ)。ブトレロフAleksandr Mikhailovich Butlerov(1828‐86)はこの説をさらに進めて,クーパーの提案した結合を表す直線を用いて書かれた構造式は単に原子価の割当ての心覚えではなく実際の分子の構造に対応し,異なる構造式には異なる実在分子(異性体)が対応するという考えを述べた。…

【ブトレロフ】より

…下級貴族の家に生まれ,カザン大学でジーニンN.N.Zinin(1812‐80)とクラウスK.K.Klaus(1796‐1869)に化学を学び,初め母校で,1868年からはペテルブルグ大学で教えた。1857‐58年の西欧出張後,当時の化学理論を批判し,クーパーA.S.Couper(1831‐92),F.A.ケクレの新概念(炭素の4価性,炭素炭素結合,1858)とみずからのメチレン誘導体研究などから,60年ころ化学構造論に到達した(1861発表)。彼は,〈化学構造〉を分子の化学的性質とそれに由来するすべての帰結が依存するものとして,それを単一の式で表現するために化学構造論を創始した。…

【有機化学】より

… ウェーラーの発見から以後の約50年間は,有機化学の建設期であった。1850年代におけるフランクランドEdward Frankland(1825‐99),クーパーArchibald Scott Cooper(1831‐92),F.A.ケクレの原子価の考えがでて,有機化学に初めて学問的基礎が与えられた。A.M.ブトレロフはこの考えを発展させて化学構造式と構造が1対1の関係にあることを,ケクレはベンゼンの構造をそれぞれ明らかにした。…

※「クーパー,A.S.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android