クールラント(英語表記)Courland; Kurland

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クールラント」の意味・わかりやすい解説

クールラント
Courland; Kurland

クールニアとも呼ばれる。ラトビア西部,バルト海沿岸,リガ湾より南西部の古称。古来クールシ人やバルト沿岸フィン人が居住。 13世紀にドイツ騎士団によって占領されて以来,騎士団とポーランド,のちにはロシアなどの対立の場となったが,1561年ドイツ騎士団長ゴットハルト・ケットラーがポーランド王ジグムント2世アウグストの保護のもとにクールラント (クルランディア) 大公国を創建した (ウィルナ条約) 。 1795年第3次ポーランド分割に伴いロシアに併合され,クールラント県となった。第1次世界大戦後,リボニア南部,ビテブスク県北西部などとともにラトビアとして独立。 1940年独ソ戦を前にしてソ連軍に占領され,ソ連邦に編入された。その後一時ナチス・ドイツの支配下に入ったが,解放後ソ連邦ラトビア共和国領に,91年9月ラトビア共和国の独立とともにラトビア領となった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android