グリボエードフ(英語表記)Aleksandr Sergeevich Griboedov

デジタル大辞泉 「グリボエードフ」の意味・読み・例文・類語

グリボエードフ(Aleksandr Sergeevich Griboedov)

[1795~1829]ロシア劇作家外交官。当時の農奴制社会の悪徳風刺、ロシア写実主義文学の先駆者となった。喜劇知恵の悲しみ」など。

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精選版 日本国語大辞典 「グリボエードフ」の意味・読み・例文・類語

グリボエードフ

(Aljeksandr Sjergjejevič Gribojedov アレクサンドル=セルゲービチ━) ロシアの劇作家、外交官。農奴制社会のさまざまな悪徳を鋭く風刺し、ロシア写実主義文学の先駆者となる。ペルシア公使として赴任中、暴徒に殺害された。代表作は「知恵の悲しみ」。(一七九五‐一八二九

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改訂新版 世界大百科事典 「グリボエードフ」の意味・わかりやすい解説

グリボエードフ
Aleksandr Sergeevich Griboedov
生没年:1795-1829

ロシアの詩人,劇作家。モスクワ大学文学部と法学部を卒業,学位をとる準備中にナポレオン軍の侵攻があり,志願して騎兵少尉となる。後方勤務につくが,そのころから戯曲翻案,執筆に手を染め,戦後ペテルブルグに出てからも,万事に派手な当時の社交界の風潮の中にあって劇界へ出入りし,詩や戯曲,評論を書いた。1817年から外務局に勤め,18年末外交使節団の一員としてペルシアへ派遣される。ペルシアとグルジアにあって,22年から24年へかけて《知恵の悲しみ》を執筆,それまで書いていた軽い〈サロン喜劇〉風の作品と違って,ロシア最初の本格的な喜劇の傑作となった。外国から帰った理想家肌の青年チャツキーが辛辣な毒舌を発揮して,阿諛追従賄賂のはびこる因襲的な社会との対立があらわになってゆく。ついにはチャツキーは気ちがいだという噂をたてられ,恋人にも裏切られて,幻滅して旅立つことになる。チャツキーはロシア文学における〈余計者〉の先駆者と言われる。28年グリボエードフはペルシア公使に任ぜられ,講和条約の締結に功があったが,翌年テヘランで暴徒に惨殺された。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「グリボエードフ」の意味・わかりやすい解説

グリボエードフ
ぐりぼえーどふ
Александр Сергеевич Грибоедов/Aleksandr Sergeevich Griboedov
(1795―1829)

ロシアの劇作家、外交官。名門貴族出の神童としてモスクワ大学の諸学部に学び、多くの外国語と音楽に堪能(たんのう)な最高の知識人。1812年のナポレオン侵入による祖国戦争時代には軍務についたが、退役後外務省に入り、18年在ペルシア(イラン)公使館、22年以後カフカスのロシア軍司令部付外交官として勤務。ペテルブルグ時代のルイレーエフら革新的な青年士官たちとの交友関係からデカブリストの乱に関与した疑いで逮捕されたが、証拠不十分で釈放された。28年駐ペルシア特派大使となったが、ロシアの拡張政策に反対する暴徒の襲撃にあい殺害された。文学作品として、翻案の処女作『若い夫婦』(1814)ほか、数編の喜劇と名作『知恵の悲しみ』(1824)がある。

[野崎韶夫]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「グリボエードフ」の意味・わかりやすい解説

グリボエードフ
Griboedov, Aleksandr Sergeevich

[生]1795.1.15. モスクワ
[没]1829.2.11. テヘラン
ロシアの劇作家,外交官。地主貴族の出身。モスクワ大学を出て外務省に入り,テヘランのロシア公使館に勤務。ペルシアの言語,文化の研究にたずさわるかたわら,19世紀初頭の官僚貴族を風刺する戯曲『知恵ゆえの悲しみ』を 1822~24年に執筆。この作品は,A.プーシキン以前のリアリズムの先駆としてロシア近代文学の方向を切り開いた。その後テヘラン駐在公使となったが,暴徒のロシア公使館襲撃の際虐殺され,執筆中の悲劇『グルジアの夜』 Gruzinskaya noch'は未完のままに終った。

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百科事典マイペディア 「グリボエードフ」の意味・わかりやすい解説

グリボエードフ

ロシアの劇作家。外交官として活躍するかたわら,モスクワの貴族社会を風刺した喜劇《知恵の悲しみ》(1822年―1824年作,1829年初演)によって,写実主義的なロシア国民演劇の基礎を置いた。劇中のチャツキーはロシア文学の〈余計者〉の系譜の原形とされる。

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