ゲオルギウデジ

改訂新版 世界大百科事典 「ゲオルギウデジ」の意味・わかりやすい解説

ゲオルギウ・デジ
Gheorghe Gheorghiu-Dej
生没年:1901-65

ルーマニアの政治家。労働者出身で1930年ルーマニア共産党に入党,33年の鉄道・石油労働者の大ストライキの指導者として認められたが,そのため12年の懲役刑を宣告された。34年党中央委員に選ばれ,ドフタナDoftanaの獄中から党活動を指導,44年8月10日に脱獄し,8月23日の反ファシスト武装蜂起を準備した。45年以後党書記長となり,また各大臣,首相歴任して,ルーマニアの社会主義建設期の最高指導者となった。彼の路線は50年代末まできわめて親ソ的だったが,60年代初めコメコン内の分業問題をめぐってルーマニアの自主的路線を主張し,これが次のチャウシェスクの時期にうけつがれた。
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ゲオルギウデジ

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世界大百科事典(旧版)内のゲオルギウデジの言及

【ルーマニア】より

…パトラシュカヌが失脚し,ルーマニアの党は東欧でも最もソ連に忠実な党といわれた時期であり,それがスターリンの死までつづいた。(4)1953年3月~65年3月19日 ゲオルギウ・デジの指導した時期で,53年のベルリン暴動以後ソ連とルーマニアの合弁企業の廃止やソ連駐留軍の削減が目だち,59年にはCOMECON(コメコン)の主張する社会主義諸国間の分業体制に反対した。60年以後の中ソ論争では中国に対する非難を拒否し,64年にはマウレル首相が中国を訪問し,またアルバニア,ユーゴスラビアとの関係改善を図るなどの自主外交を展開した。…

※「ゲオルギウデジ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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