改訂新版 世界大百科事典 「コイ」の意味・わかりやすい解説
コイ (鯉)
carp
Karpfen[ドイツ]
carpe[フランス]
Cyprinus carpio
コイ目コイ科の淡水魚。元来はアジアの温帯およびヨーロッパのドナウ川とチサ川の原産。現在では移殖により北半球では寒冷地を除くヨーロッパのほぼ全土,北アメリカ,東南アジア,南半球ではオーストラリアやニュージーランドでも繁殖している。アメリカ,カナダではフナやソウギョなどと区別するためcommon carpと呼ぶ。平野部を中心とする湖沼,河川の中・下流域などにすむ。日本でも高山の湖沼や小面積の島を除くほぼ全土に分布する。とくに現在では各地への移殖,放流が盛んに行われるようになったので,天然分布地と移殖による分布地との境界が不明になった水域が多い。ただし琵琶湖沿岸では漁業者は野生品種をマゴイ(真鯉),養殖品種をヤマト(大和)と呼び区別する場合がある。野生品種は体高が低く,体に厚みがあり,体色もやや黄色光沢が強い。これに対し養殖品種は放流後に成長したものでも体高が高く,体の厚みが薄い。体色も銀白色に傾いている。性質も野生品種は荒っぽく,いけすなどでの蓄養時に損傷しやすいといわれる。琵琶湖以外でもこのような傾向は認められるが一般にはあまり注目されていない。
特徴
コイの形態上の一般的な特徴は4本の口ひげをもつこと,上下の両あごに歯を欠くが,そのかわりに咽頭骨(いんとうこつ)に3列の臼状(きゆうじよう)の歯(咽頭歯)をもつこと,背びれの基底部の長いことなどである。ふつうのコイは側線上の有孔鱗数が32~39枚くらいで,昔,コイにロクロクリン(六六鱗)という別名があったのは側線鱗数36枚の個体が多く見られたことによる。
生態
野生のコイは水温が高く,やや富栄養の水質をもつ平野部の湖沼や河川の中・下流域の流れの緩やかな水域に好んですむ。泥または砂泥底で,ヨシやマコモなどの繁茂する沿岸帯にもよく来遊する。雑食性で,水中や水底にすむ小動物や水草の芽,葉,根なども食べる。産卵期は地域によって多少の差異があるが,関東平野の湖沼では4~6月の水温約18~20℃のころである。このころになると親魚は群れをなして沿岸の浅所に来遊し,水草,ヨシ,マコモなどの葉や茎などに産卵する。産卵行動は雌1尾に対し雄1尾,または数尾によって行われる。その動作はまず雌が水草などの水面の浮遊物に近づき,尾部を左右に強く振りながら,これを乗り越えるような動作をする。この瞬間に放卵が行われる。その直後に追尾していた雄が同様な動作をしながら,この浮遊物を乗り越え放精する。これが受精行動である。受精卵は卵膜の表面の粘着力によって水草などに付着し,すぐ卵内発生が進む。卵は受精後水温18~22℃で約6日ないし3日半くらいで孵化(ふか)する。コイは孵化後,早いもので満2年,ふつうは3年で成熟する。なお,〈コイの滝登り〉といわれるが,実際にはそのようなことは行わない。
品種
黒色以外の色彩のコイをイロゴイ(色鯉),赤色のものをヒゴイ(緋鯉)などと呼び,これらを観賞用に選抜育種したものをとくにニシキゴイ(錦鯉)と称している。ニシキゴイの養殖は新潟県の小千谷,長岡などの山間で発達したもので,現在でもこの地方ではとくに盛んに行われ色彩の鮮やかな美しいものが生産されている。
以上は主として色彩,斑紋などを中心とした品種の分け方であるが,これらのほかにうろこの著しく少ない変異形質を選抜して育成された品種がある。これらは古くドイツを中心として改良育成されたもので,日本ではドイツゴイ(独逸鯉)と総称している。ドイツゴイはカワゴイLeder Karpfen(革鯉)とカガミゴイSpiegel Karpfen(鏡鯉)との2品種に細分される。カワゴイはしりびれの基底部などを除きほとんど全身にわたってうろこを欠いた品種である。カガミゴイは側線鱗や各ひれの基部などに大型のうろこを数枚ないし十数枚もつものをいう。なおドイツではこれらに対しふつうの配列のうろこをもったものをSchuppen Karpfen(ウロコゴイ)と呼んで区別している。ドイツゴイが最初に日本に輸入されたのは1905年で,その後日本でも養殖された時期もあった。しかしうろこの配列からくる外観が日本人の好みに合わないためか,その養殖は下火になり,現在では食用ゴイとしてのドイツゴイはほとんど影を潜めるに至っている。ただ観賞用のニシキゴイの中にはドイツゴイ型のうろこをもったドイツオウゴン(独逸黄金)などと呼ばれる品種も登場している。
漁業,養殖
コイは天然の湖沼や河川のものは食用魚として漁業の対象となるほか,レクリエーションとしての釣りの対象魚としても人気がある。したがってコイの生産に適する水域の大部分では漁業権の対象魚となって種苗(多くの場合稚魚)の放流が地元の漁業協同組合に義務付けられている。したがって,このような水域で釣りをする場合は釣人は遊漁料を支払うことになっている。
コイは溜池,水田,流水,網いけすなどを利用して積極的に給餌して生産する養殖も各地で盛んに行われている。この場合,その目的によって食用魚と観賞魚との養殖に分けられる。観賞用のコイは体色の美しく斑紋の鮮明なコイを養成するのを理想としている。これに対し食用魚の養殖はふつうの体色のいわゆるマゴイを対象とし,狭い面積で味のよいコイを多量に養成するのを理想としている。東日本の長野,群馬両県では溜池や流水で,茨城県霞ヶ浦などでは湖岸に網いけすを設置して養殖する場合が多い。コイは日本では焼いて食用にすることはほとんどないが,それは昔,武士が切腹の前に,焼いたコイを食膳に供する慣習があったことによるとされている。近年は中華風の糖醋鯉魚(タンツーリーユー)(コイの丸揚げ甘酢あんかけ)も一般家庭まで普及し始めている。
執筆者:中村 守純
料理
《徒然草》第118段に見られるように,日本では古来鯉はもっとも尊貴な魚だとされてきた。それは,黄河の竜門をもさかのぼって竜になるといわれた中国古代からの観念をそのまま受容していたことと同時に,都が内陸部に位置して生鮮海産魚の食用が困難であったこと,淡水魚の中では鯉が季節をとわず入手しやすく,かつ,美味であることによるものであった。産地としては《本朝食鑑》(1697)が〈城州淀河を以て第一とす〉といっているように淀川のものがよいとされ,とくに〈車下(くるました)の鯉〉は絶品とされた。これは淀(現,京都市伏見区)の城中の池に水をくみ上げるため,城の北西方の川中に設けてあった巨大な水車の辺でとれるものをいった。室町時代には口のまわりが黄色のものを〈きんぎょ〉と呼び,とくに珍重する風もあった。鯉の料理としては,刺身,なます,汁,浜焼き,すし,こごり,小鳥焼き,煎鯉(いりごい)などが江戸初期の《料理物語》(1643)に見られる。刺身は,しょうゆが普及する以前は,酒と鰹節と梅干しでつくる煎酒(いりざけ)で食べた。車下の鯉はほかの鯉と違って,いくら食べても煎酒が濁らなかったという。江戸後期にはふつうの刺身よりは洗いが賞美され,濃漿(こくしよう)ももてはやされた。洗いは洗い鯉と呼ばれ,江戸では向島の葛西太郎,大黒屋孫四郎などの料理茶屋が有名であった。濃漿は今の鯉濃で,筒切りにした鯉をみそ汁で煮込むものである。子付(こつけ)なますも古くからの料理で,鯉の刺身にその卵をほぐしてまぶしつけ,酢を加えた煎酒やワサビ酢であえた。
執筆者:鈴木 晋一
民俗
鯉は古くから淡水魚の中でもっとも食用として利用され,また,眼をふさいでおくと跳びはねないので,物おじせぬ生物の代表としてまないたにのせた鯉のようだと形容することばにもなっている。勇気の象徴として5月の男子の節句に〈こいのぼり〉とされ,婚礼の祝いの魚としても用いられるように,日本では縁起のよい魚として鯛とともに魚類の筆頭にあげられる。古くから淀川の鯉が有名であったが,これは文筆をもつ人にも早くから知られたからで,近世中期以後は関東の各地でも名産となった。淀川では摂津野田(現,大阪市内)に鯉を葬った塚がある。大坂の陣の戦没武士が鯉に生まれ代わり,人にとらえられたとき左右のわきに巴の紋があったのを寺の僧が供養して塚に埋めた。その夜の僧の夢に武士の霊が現れて上の件を語ったと伝える。大きな鯉を池や川の主の姿とする伝承は各地にあり,その一例と見られる。紅白の色鯉を飼って観賞する風も古い。
執筆者:千葉 徳爾 中国では鯉は淡水魚の中で魚の王者として珍重される。中国料理で最後に空揚げの紅焼鯉魚が出るのもそのためである。俗に鯉魚(リーユー)は利余(リーユー)と同音だからとして蝙蝠(福)や鹿(禄)と並んで縁起のよいものとされ,吉祥図のほか装身具のデザインにも鯉が喜ばれる。それは語呂合せだけでなく,鯉は竜が身を変じたものと考えられており,鯉が黄河をさかのぼって河南の竜門の滝を越えると竜に化するという〈登竜門〉の説も生じた。古代の仙人にも鯉に乗って昇天したものがあった。《列仙伝》によれば,琴高という仙人は水に潜って竜の子を取ってくると弟子にいい残し,約束の日には赤い鯉に乗って水辺の祭場に現れた。また子英という仙人は赤い鯉をつかまえて池に入れ,米粒で飼っているうちに1丈あまりになり,角や翼も生えた。子英はこの鯉の背にまたがり,大雨の中を空高く昇っていったという。これは,鯉すなわち竜に乗って昇天することであった。
またなますに料理された大きな鯉が,暴風雨に乗じてことごとく胡蝶(こちよう)に化して飛び去ったという話(《酉陽雑俎(ゆうようざつそ)》前集4)や,やはりなますにされて宴席に出された鯉が,雷雨とともに空に舞ったという話(《夷堅志》丙志5)もあり,鯉はすべて風雨に乗じて天に昇ると考えられたから,竜の同類とされたことがわかる。昔話の世界でも,金色の大きな鯉(緋鯉)は竜王の太子,または王女が,魚に姿を変えて人間界に遊びにきたもので,それが漁夫の網にかかって料理されようとしたところ,貧しい善人の男に助けられた恩に報いるため,竜王の命で美女に変じてその男の妻になり,邸宅や金品などの財福を与えて去っていくという,いわゆる異類婚姻譚の一種〈鯉魚姑娘(鯉女房)〉の話も広く行われている。こうして,鯉は竜王の太子,または王女の化したものと考えられたため,信心家は鯉を食うことを避け,仏菩薩の縁日にはこれを買って川や池に放生する風習も生じた。寺院の放生池に鯉が飼われているのもこの信仰による。
執筆者:沢田 瑞穂
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報