コス島(読み)コストウ(英語表記)Nísos Kós

デジタル大辞泉 「コス島」の意味・読み・例文・類語

コス‐とう〔‐タウ〕【コス島】

KosΚως》ギリシャ東部、エーゲ海に浮かぶ島。ドデカネス諸島に属し、トルコ本土とわずか約5キロメートルの位置にある。中心地コス。同島北東部にアスクレピオンアスクレピオス遺跡)がある。白い砂浜が広がる海岸保養地も多い。古代ギリシャの医師ヒポクラテス生地

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改訂新版 世界大百科事典 「コス島」の意味・わかりやすい解説

コス[島]
Kos
Kōs

ギリシア領ドデカネス諸島の島。東西約43km,南北の幅1.8~10kmと細長く,面積290km2,人口1万6650(1971)。北岸沿いに幅約4kmの肥沃平野帯状に走り,南岸は急峻な山地。古代にはエピダウロス人の植民が伝えられるドリス系住民の島であった。前5世紀初め,カドモスが父スキュテスから継承した僭主政権を自発的に放棄し,デロス同盟には当初から加盟した可能性がある。前412年ころコス市は震災に見舞われ,同時にアテナイから離反した。前366-前365年に新市が建設され,ヘレニズム時代の前半にはプトレマイオス王朝,後半にはローマと友好関係を保った。前5世紀の医学の祖ヒッポクラテスが医学校をこの地で開いたことにちなみ,前4世紀には医神アスクレピオスの壮大な神域が建設された。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コス島」の意味・わかりやすい解説

コス島
コスとう
Nísos Kós

ギリシア,エーゲ海南東部,ドデカニソス諸島中部の島。狭い海峡をはさんでトルコに相対する。南岸沿いに石灰岩山地が延び,最高点 846m。北岸沿いには肥沃な低地連なり,その東部に中心都市コスがある。先史時代より人が住んでいたが,古代にエピダウロスのドーリス人が植民。 1315年ヨハネ騎士修道会が占領要塞を建設。 1523~1912年オスマン帝国領。その後 47年までイタリア領。主産業は農業で,ブドウイチジク,オリーブ,野菜などを栽培,メロン,ブドウなどを輸出。鉄鉱,銅鉱を産出。古代には医神アスクレピオスの神域があったところで,その遺跡が発掘されている。医学の祖といわれるヒポクラテスの生誕地。アテネと空路で結ばれている。面積 290km2。人口2万 350 (1981) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「コス島」の意味・わかりやすい解説

コス島
こすとう
Kos

小アジア半島南西岸沿いにあるギリシア領の島。ドデカネス諸島に属し、面積290平方キロメートル、人口3万0071(2001)。最高峰オロメドン山は標高875メートル。地中海式気候で、北部の平原では穀類、柑橘(かんきつ)類、ブドウ、野菜を豊富に産する。畜産、養蜂(ようほう)、海綿採集、漁業も盛ん。銅、鉄などの鉱産物にも恵まれ、鉱質温泉が多い。島の西部に医神アスクレピアスの神殿の遺跡がある。オスマン・トルコ帝国、イタリアの支配を経て、1947年よりギリシア領。医学の祖ヒポクラテスの出生地。

[真下とも子]

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世界大百科事典(旧版)内のコス島の言及

【医者】より

…しかし,呪術から解放された,その意味で現代にも通ずる医者の起源としては,前5世紀のギリシアにこれを求めるのが順当である。このころのギリシアには,一応の教育課程を持ち,規約ないし職業倫理を掲げる専門の医者集団が,コス島,クニドス,ロドス島,シチリアのシラクサ等に存在した。中でもヒッポクラテスを生んだコス島の医者集団は,すぐれて経験主義的な立場に立ち,合理的な診断を特色としたクニドス派に対し,コス派として知られた。…

※「コス島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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