出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
コプト裂(ぎれ)ともいい、エジプトのサッカラ、アクーミム、アンティーノエなどにある墳墓から出土する染織品をさす。時代的には、3、4世紀から7、8世紀ごろの間に製作されたものをいい、広くは紀元後、エジプト全土がローマ帝国の統治下に入ってから、13世紀のマムルーク朝の時代までのものを含めることがある。染織品は、死者を包んでいた衣服(チュニック、パリウム、ショールなど)と、クッション、壁掛け、敷物などの装飾品で、乾燥した砂地に長い間、遺体とともに埋葬されてきたものである。染織の種類は大部分が綴織(つづれおり)であるが、輪奈(わな)織、紋織、型染め、﨟纈(ろうけち)や、編物などもある。そのうち綴織は、経糸(たていと)に麻を使い、ウールの緯糸(よこいと)で模様を表したもので、円形、四角、帯状などに織り、衣服の肩、衿(えり)、裾(すそ)などを部分的に装飾したが、台地が古くなると綴織の部分だけを切り取り、アップリケのように衣服に縫い付けた。
模様は、初めエジプト固有の水禽(すいきん)や植物文(もん)と、ギリシア・ローマ神話に題材を求めたものが多いが、しだいにキリスト教的象徴や『新・旧約聖書』に取材した図柄が表れ、またペルシア、ビザンティンの影響の強いものなどが加わって豊富な内容を醸し出すが、やがてイスラム教のもとに大きく転向をみせる。それにしたがい、色数も初め黒の単色から多彩色へと増加するが、アラブの支配下になると全体に暗くなり、配色の混乱が表れてくる。
[角山幸洋]
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…建築では,ソーハーグ近郊の〈白修道院〉(ディール・アルアビアド)と〈赤修道院〉(ディール・アルアフマル)が知られ,ともに三廊式バシリカである。
[コプト織]
コプト美術の諸部門のうち,とくに織物(コプト織)は遺品が多い。この織物は,3世紀ころから発達し,7世紀にエジプトがイスラム文化圏に吸収されるまでつづくが,その初期にはギリシア・ローマの異教的色彩が強く,またイスラムの時代になってもコプト織の伝統は継続するので,時代的限界ははっきりしない。…
※「コプト織」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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