コンスタンス(英語表記)Flavius Julius Constans

改訂新版 世界大百科事典 「コンスタンス」の意味・わかりやすい解説

コンスタンス
Flavius Julius Constans
生没年:320ころ-350

ローマ皇帝在位,副帝333-337年,正帝337-350年。コンスタンティヌス1世の第4子。コンスタンティノポリスギリシアラテンの教育をうけ,父帝死後兄弟と共に正帝としてイタリアアフリカなどを統治。340年兄のコンスタンティヌス2世を殺し,西方唯一の皇帝となる。343年ブリタニアに渡ったが,これがローマ皇帝がこの地に足をふみ入れた最後となった。ガリアマグネンティウス反乱のために殺された。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コンスタンス」の意味・わかりやすい解説

コンスタンス
Constans, Flavius Julius

[生]323頃
[没]350. ガリア
ローマ皇帝 (在位 337~350) 。コンスタンチヌス1世 (大帝)の第4子。父の死後,コンスタンチヌス2世コンスタンチウス2世と共同で統治し,イタリア,アフリカ,イリュリクム支配。 340年ヒスパニア,ガリア,ブリテンを支配していた兄のコンスタンチヌス2世がイタリアに侵入,これを撃退して兄を敗死させ,西方を支配,フランクを破る。カトリックを保護し,アリウス派や異教を弾圧した。帝位僭称者 F.マグネンチウスに殺された。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のコンスタンスの言及

【マグネンティウス】より

…在位350‐353年。蕃族の出身でローマ軍に入隊して頭角を現して将軍となったが,350年,アウグストドゥヌム(現,オータン)で反乱を起こし,コンスタンス帝を殺させ,皇帝を僭称し,ガリアを中心とする帝国西部を支配した。しかし財政政策の失敗,異教徒優遇策などによりコンスタンティウス2世と対立し,351年ムルサの戦に敗れ,2年後,ガリアで自殺した。…

※「コンスタンス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android