コンスタン(英語表記)Henri-Benjamin Constant de Rebecque

デジタル大辞泉 「コンスタン」の意味・読み・例文・類語

コンスタン(Benjamin Constant de Rebecque)

[1767~1830]フランス小説家政治家スタール夫人とともにナポレオンの政策を批判。自伝的小説「アドルフ」は代表作で近代心理小説の先駆とされる。

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精選版 日本国語大辞典 「コンスタン」の意味・読み・例文・類語

コンスタン

(Benjamin Constant バンジャマン━) フランスの作家。スタール夫人と相知り、立憲王制主義の政治家として活躍。自伝的作品「アドルフ」は近代心理小説の傑作として知られる。(一七六七‐一八三〇

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改訂新版 世界大百科事典 「コンスタン」の意味・わかりやすい解説

コンスタン
Henri-Benjamin Constant de Rebecque
生没年:1767-1830

フランスの政治家,小説家。17世紀にスイスに亡命したフランスの新教徒の子孫としてローザンヌに生まれ,のちフランスに帰化する。ヨーロッパ各地の大学に学ぶが,利己的で移り気な性格で,女性関係多く,また賭博に熱中し,放埒(ほうらつ)な青年時代を送る。1794年スタール夫人と知り,長期にわたって波乱に富んだ関係を続ける。恐怖政治が終わると夫人と相前後してパリに出,護民官となるが,やがて夫人とともにナポレオンに追放されてドイツに亡命,ワイマールに住み,ゲーテシラーと知り合い,シラーの史劇《ワレンシュタイン》をフランス語に訳す。王政復古とともにパリに戻り,《デバ紙上でナポレオンを糾弾するが,百日天下の間はナポレオンに仕え,再び王政に戻るとイギリスに亡命,小説《アドルフ》を執筆(1806)。やがて許されて帰国し,1819年代議士に選ばれ,その後は自由主義派の政治家として活躍,30年七月革命に際してはルイ・フィリップの王政成立に協力し,参事院立法部長に任じられるが,同年末没した。第2次大戦後発見された《セシルCécile》(1951)は,2人目の妻となったシャルロット・ド・アルダンベールをモデルにし,彼女と知り合ったのちもスタール夫人との関係を断ち切れず,結婚決意をするまでに15年も要した経緯を忠実にたどった自伝小説である。他に未完の《宗教論》(1824-30),多くの政治論,日記等がある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コンスタン」の意味・わかりやすい解説

コンスタン
Constant de Rebecque, Henri Benjamin

[生]1767.10.25. ローザンヌ
[没]1830.12.8. パリ
フランスの小説家,政治家。スイスのフランス系亡命プロテスタントの軍人の子に生れ,早く母を失い,ドイツとスコットランドで教育を受け,1787年パリでシャリエール夫人と知合った。 95年ローザンヌで知遇を得たスタール夫人に従いパリへ出て,活発な政治活動を開始。自由主義市民階級の有力な代弁者として声価を確立,ナポレオンの独裁政治に対抗して憲政主義を主張した。ナポレオンの失脚,第1王政復古,百日天下,第2王政復古と政情の変化に伴って亡命と政界復帰を繰返したが,1819年サルト地方の下院議員に選ばれて,ルイ・フィリップ擁立などに活躍,大きな衆望を得た。 06年スイスのスタール夫人のもとで書かれた小説『アドルフ』 Adolphe (1816) は近代心理小説の先駆として傑作の名が高い。『宗教論』 De la religion considérée dans sa source,ses formes et ses développements (5巻,24~31) ,死後 100年以上たってから発見された第2の小説『セシル』 Cécile (1951刊) ,自伝『赤い手帳』 Le Cahier rouge (1907刊) のほか,冷徹な知性によって不安定な自己の性格を分析した日記と多数の書簡が刊行されている。

コンスタン
Constant, Benjamin-Jean-Joseph

[生]1845.6.10. パリ
[没]1902.5.26. パリ
フランスの画家。 1869年サロンに初出品,72年モロッコに旅行。ソルボンヌ,パリ市庁舎,オペラ・コミック座の壁画の作者として知られるほか,肖像画家としても一流とされた。 93年アカデミー会員。

コンスタン
Constant, Benjamin; Botelho de Magalhães

[生]1833
[没]1891
ブラジルの政治家,思想家。 1871年実証主義協会を設立して実証主義の普及に尽力。また共和主義者として 89年の共和革命を指導し,革命後,陸軍長官,教育・郵政相などの要職を歴任した。

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百科事典マイペディア 「コンスタン」の意味・わかりやすい解説

コンスタン

フランスの作家,政治家。王政復古期に自由主義政治家として活躍。スタール夫人の愛人だったこともある。1816年刊行した自伝体の小説《アドルフ》は,恋愛の心理を分析してフランス心理小説の傑作といわれる。その文体は気品があり,簡潔にして精緻である。ほかに《セシル》《赤い手帳》など。

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世界大百科事典(旧版)内のコンスタンの言及

【自由主義】より

…これに反してフランス革命の遺産を負ったフランス自由主義は,カトリシズムの教権支配やブルボン正統主義と闘う一方で,ジャコバン主義や革命的民衆運動から自己を絶えず区別する必要に迫られた。コンスタン・ド・ルベックBenjamin Constant de Rebecque(1767‐1830)が土地所有を政治的権利の不可欠の条件となし,F.ギゾーが選挙権の財産制限にあくまで固執したように,フランス自由主義の指導者が概して政治的民主化に消極的であったのは,自国の革命的伝統に対する両義的態度に由来する。1848年の社会的危機がナポレオン3世の人民投票的独裁によって収束された事実は,フランス自由主義の脆弱(ぜいじやく)性を明らかにした。…

【アドルフ】より

…フランスのコンスタンの小説。1806年脱稿。…

【反動】より

…自由・平等・博愛という普遍的価値を前面に出して遂行されたこのイデオロギー革命は,その進展とともに革命に反対する運動を呼び,これが反動派réactionnairesを形成することになった。フランス革命の恐怖政治に対する反動化の真っただなかに生きた小説家,H.B.コンスタンは《政治的反動論Des réactions politiques》(1797)の中で,反動概念の定式化をはかった。彼は,革命がその当時の国民に広くいきわたっている理念をこえて進行するとき,反動が発生するとし,政治的反動を,(1)人間に対する反動,(2)理念に対する反動,に区別する。…

【ロマン主義】より

…とりわけルソーの書簡体小説《新エロイーズ》や自伝的な作品《告白録》がその代表とされる。恋愛を中心とする自己の感情の起伏や精神的苦悩を主人公に仮託して描く自伝文学は,ロマン主義文学の中でも主要な位置を占め,ゲーテの《若きウェルターの悩み》,シャトーブリアンの《ルネ》(1802),セナンクールの《オーベルマン》(1804),コンスタンの《アドルフ》へと継承され,ミュッセの《世紀児の告白》(1836)へと受け継がれる。この系譜の中からは,激変する社会の現実と自己の存在との乖離(かいり)を感じ,愛に満たされず何かを求め続け現実から逃避していく〈世紀病mal du siècle〉を病んだロマン派的魂の典型が浮かび上がる。…

※「コンスタン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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