ゴシケヴィチ(読み)Goskevich,Iosif Antonovich

朝日日本歴史人物事典 「ゴシケヴィチ」の解説

ゴシケヴィチ

没年:露暦18(露暦18)
生年:露暦1814
75.9.23(1875.10.5) 幕末のロシアの外交官ロシア正教神父を父としてミンスク近郊に生まれる。1839年サンクト・ペテルブルク神学校卒業,ロシア宣教師団の一員として50年まで北京に滞在した。嘉永6(1853)年7月,遣日使節プチャーチンの中国語通訳として長崎に同行。安政1年12月21日(1855年2月7日)の日露和親条約調印に立ち合い,同年7月ドイツ船グレタ号で帰国の途次,イギリス軍艦に捕らえられ,ロシアに送還された。57年に橘耕斎と共に日露辞典『和魯通言比考』を出版した。安政5年9月30日(11月5日)箱館駐在の初代ロシア領事として着任,万延1(1860)年総領事となり,慶応1(1865)年の春帰国した。99年にはその著『日本語語根論』が刊行された。<参考文献>阿部正巳「函館駐剳露国領事ゴスケウヰッチ」(『歴史地理』36巻2~4号)

(内海孝)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android