サムニウム戦争(読み)サムニウムせんそう(英語表記)Samnite Wars

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「サムニウム戦争」の意味・わかりやすい解説

サムニウム戦争
サムニウムせんそう
Samnite Wars

前4~3世紀イタリアに覇権を広げつつあったローマ人と,サムニウム人との戦争。3次に分けられ,前 343~341年の戦いでローマはラチウム南方のカンパニアに進出,ローマの勝利によってラチウム覇権が確立した。以後もサムニウム人は山中のゲリラ戦を主にローマ軍をしばしば破り,さらに前 326~321,前 316~290年 (前 304~298は中断) の2度の戦争を引起した。彼らはエトルリア人やガリア人と結んでラチウムを包囲し,特に前 295年ローマ北方のセンチヌムの戦いではローマを全滅の危機に陥れたが,執政官 (コンスル ) P.ムスが自身の生命を捧げてローマの勝利をもたらしたという。和議ではサムニウム人の独立は認められたが,ローマのイタリアにおける優位は決定的となり,第2次ポエニ戦争後サムニウム人の勢力は急速に衰えた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のサムニウム戦争の言及

【サムニウム人】より

…4部族が山岳地帯に住み,本来牧畜を営んでいたが,前5世紀カンパニア平原に侵入し,カプアやキュメを占領した。前4世紀以降ローマと衝突し,前3世紀初頭まで前後3回のサムニウム戦争を引き起こした。結局ローマに敗れ,その同盟国となった。…

【ローマ】より

…初期の兵役期間は民兵制に対応して,種まきが終わる3月初旬から収穫の始まる8月末ないし9月初旬までの期間であったが,前400年ころに行われたエトルリアの都市ウェイイとの戦争では,戦争が長期にわたったため兵士に給与が支払われ始めた。 前4世紀後半のサムニウム戦争の間に,ローマの戦術は密集隊形から中隊を基本単位とする散開隊形に変わった。これに伴って重装歩兵の武器も長槍から投槍と剣へと変わっている。…

※「サムニウム戦争」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android