シェール・シャー(読み)しぇーるしゃー(英語表記)Sher Shāh

山川 世界史小辞典 改訂新版 「シェール・シャー」の解説

シェール・シャー
Shēr Shāh

1472/86/90~1545(在位1539~45)

インド,イスラーム政権の一つ,スール朝創始者。スール族のシェール・ハーンは,東部インドのアフガン諸勢力の一つであったが,1539年と40年の2度の戦いムガル帝国フマーユーンを破った。39年にシャー(王)を名乗り,40年にデリー玉座を奪い,北インドの支配権を確立した。しかし45年,遠征中に事故死した。短期間の治世中に,貨幣制度統一,土地調査,駅伝制度などを実行し,それらの多くはムガル帝国のアクバルによって継承された。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シェール・シャー」の意味・わかりやすい解説

シェール・シャー
Sher Shāh

[生]1472/1473
[没]1545
インド,ムスリム王朝であるスール朝の創始者 (在位 1539~45) 。ロディー朝末期からムガル帝国創始期に,北インド各地に割拠していたアフガン系諸族の一つであるスール族の首長であった彼は,ビハール地方に勢力を拡大し,アフガン系諸族を統合して,1540年ムガル帝国第2代皇帝フマーユーンカナウジに破り,スール朝を創始した。治世は6年の短期間であったが,地税徴収のための土地測量,貨幣制度,軍隊や官僚制度の整備など,内政面においても注目すべき施策を行なっている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「シェール・シャー」の意味・わかりやすい解説

シェール・シャー
しぇーるしゃー
Sher Shāh
(1472/73―1545)

インドのデリーに都したアフガン系の王朝であるスール朝の創始者(在位1539~45)。北インドにはアフガン系の諸勢力が分散的に進出していたが、その一つのロディー人はサイイド朝を倒してロディー朝(1451~1526)をつくった。しかし、この王朝はムガル帝国によって滅ぼされた。ムガル帝国第2代フマーユーンの時代に、アフガン系のスール人にシェール・シャーが出て、強大な勢力となり、フマーユーンをペルシアに追って、デリーを占領し、スール朝を創始した(1540)が、スール朝はシェール・シャーの死後衰え、帰国したフマーユーンに敗れて滅亡した(1555)。

[小谷汪之]

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