シットウェル姉弟(読み)シットウェルしてい

改訂新版 世界大百科事典 「シットウェル姉弟」の意味・わかりやすい解説

シットウェル姉弟 (シットウェルしてい)

イギリスの,シットウェル准男爵家出身の3人の文人姉弟。第1次大戦後のイギリス文壇・社交界の名物的存在として,知的自由を弁護し,因習的迷妄を批判,俗物性風刺した。長女イーディス・シットウェルEdith Sitwell(1887-1964)は学校教育を受けず,まず年刊の現代詩集車輪》(1916-21)を編纂して,若い詩人たちを紹介し詩壇に新風を送った。自分の詩集としては,処女作《母その他の詩》(1915)ののち,ジャズのリズムを取り入れた《ファサード》(1922)を発表。後者はウォルトンWilliam Waltonによる作曲で広く世に知られた。晩年は宗教的詩風に傾き,《薔薇の聖歌》(1949)によって現代屈指の女流詩人の位置を築いた。《全詩集》(1954,57)がある。W.オーエンD.トマスなど,他の詩人たちへの鑑識眼の鋭い助言とパトロンぶりも語り草となっている。《イギリスの奇人たち》(1933)は,みずから断固たる個性の持主だった彼女ならではの好エッセーである。

 弟のオズバート・シットウェルOsbert Sitwell(1892-1969)はイートン校を卒業。第1次大戦に従軍した。《全詩集および風刺》(1931)にまとめられた詩作品,《シナイ山上の奇跡》(1933)などの小説もあるが,代表作は自伝文学としてもすぐれ同時代文壇史としても貴重な次の5巻の自叙伝であろう。《左手,右手》(1944),《緋の木》(1946),《大いなる朝》(1947),《隣室笑い声》(1948),《高貴なる本質》(1950)。

 末弟のサシェベレル・シットウェルSacheverell Sitwell(1897-1988)もイートン校で教育を受けた。姉や兄よりは地味な存在だったが,多作であった。15冊の詩集は自選の《詩選集》(1948)に要約されるが,むしろ彼の名は芸術論・建築論の分野で記憶されるだろう。《南欧バロック芸術》(1924),《ゴシック的北欧》全3巻(1929-30),《家族だんらん画》(1936),《イギリスの建築家と工匠》(1945)。また,精力的旅行家として多くの紀行文を発表した。《ルーマニアの旅》(1938),《スペイン》(1950),《マルタ島》(1958)などからの抜粋として《黄金都市を求めて》(1973)がある。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のシットウェル姉弟の言及

【レーマン】より

…すぐれた編集者として新しい才能発掘で知られるが,緊密で鋭い詩風の持主で《全詩集1930‐63》(1963)があるほか,幼年期の感受性をみずみずしく描いた自叙伝《ささやく回廊》(1955),その続編《私は私の兄弟》(1960)や《ふんだんな提案》(1966)もすぐれている。またシットウェル姉弟の伝記である《虎たちのすみか》(1968),ウルフ夫妻についての回想録《ウルフ夫妻に身をささげて(狼たちに投げ与えられて)》(1978)があり,〈生きた現代文学貯蔵庫〉の趣がある。女流作家R.N.レーマンは姉。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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