シャクルトン(読み)しゃくるとん(英語表記)Sir Ernest Henry Shackleton

精選版 日本国語大辞典 「シャクルトン」の意味・読み・例文・類語

シャクルトン

(Sir Ernest Henry Shackleton サー=アーネスト=ヘンリー━) イギリス南極探検家。一九〇一~〇四年スコット南極探検隊に参加。一九〇九年、極点には到達できなかったが、エレバス火山に初登頂し、南磁極を発見した。(一八七四‐一九二二

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デジタル大辞泉 「シャクルトン」の意味・読み・例文・類語

シャクルトン(Ernest Henry Shackleton)

[1874~1922]英国の探検家。スコットの南極探検隊に参加。のち自ら探検隊を組織し、1909年に当時の最南限地に到達した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「シャクルトン」の意味・わかりやすい解説

シャクルトン
しゃくるとん
Sir Ernest Henry Shackleton
(1874―1922)

イギリスの南極探検家。アイルランドのキルキーに生まれ、ダルウィッチ・カレッジに学ぶ。商船に乗務後、海軍予備士官となる。1901~1904年のスコットの率いるディスカバリー号による南極探検隊に参加、スコットおよびウィルソンEdward Wilson(1872―1912)とともに、そりで当時の到達記録となった南緯82度16分33秒に達した。1903年、病気のため一行と別れ帰国。1907~1909年、自ら探検隊を率いてニムロッド号で南極に向かい、1909年1月9日には南極からごくわずかの距離である南緯88度23分まで到達した。このほかエレバス火山(3794メートル)の初登頂、南磁極への到達とその位置(南緯72度25分、東経154度)標定など、多くの成果を得た。

 1914年、第一次世界大戦の勃発(ぼっぱつ)にもかかわらず政府の特別の許可と庇護(ひご)の下に、エンデュランス号で第3回の南極探検に赴き、ウェッデル海―南極―マクマード・サウンドの犬ぞり踏破を企てたが、ウェッデル海で船が氷に破壊され失敗。このとき小艇で1280キロメートル離れたサウス・ジョージア島まで助けを求めに行き、エレファント島に残された全員のチリ海軍による救出に成功した。1921年、エンダービー・ランド踏査などを目的にクエスト号で南極に向かったが、1922年1月、サウス・ジョージア島沖の同船上で心臓発作のため急死、同島に葬られた。1919年Sirの称号を授けられたほか、王立地理学会から金メダル、各国から多くの賞を贈られている。主著に『Heart of the Antarctic』(1919)、『Diary of a Troopship. South』(1919)がある。

[半澤正男]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シャクルトン」の意味・わかりやすい解説

シャクルトン
Shackleton, Sir Ernest Henry

[生]1874.2.15. アイルランド,キルデア
[没]1922.1.5. サウスジョージア島
イギリスの探検家。 1901年イギリス王立地理学会の組織した南極探検隊の一員となり,南極に向い,ロス氷原に達したが極地には到達できなかった。 07年みずから探検隊を率いて出発,09年1月南緯 88°23′に到達。南極点まであとわずか 156kmに迫った。南磁極にも別隊が到達。多くの地理的調査を行い,学術上貴重な資料を得た。帰国後その功によりナイト爵を授かる。その後も 14~16年に南極横断を試みたが,乗船していた『エンデュアランス』号が流氷中の氷の圧力によって難船した。そのため全隊員の救援を呼ぶため,彼を含む6人がサウスジョージア島へ向けて氷と強風にはばまれながらも 1300kmを航行し,さらにサウスジョージア島を徒歩で横断するなど超人的努力の結果,全員を救出した。4回目の南極遠征の途についたが,サウスジョージア島に到着後心臓病で死去。

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