シュモラー(読み)しゅもらー(英語表記)Gustav von Schmoller

デジタル大辞泉 「シュモラー」の意味・読み・例文・類語

シュモラー(Gustav von Schmoller)

[1838~1917]ドイツ経済学者。新歴史学派代表者で、社会政策学会を設立し、指導的役割を果たした。また、「シュモラー年報」を創刊。著「国民経済学原論」など。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「シュモラー」の意味・読み・例文・類語

シュモラー

(Gustav von Schmoller グスタフ=フォン━) ドイツの経済学者。ベルリン大学教授。新歴史学派を起こし、プロイセン社会政策を理論的に指導。「立法・行政および国民経済のための年報」(通称「シュモラー年報」)を創刊、社会政策学会を創設した。主著「国民経済学原論」。(一八三八‐一九一七

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「シュモラー」の意味・わかりやすい解説

シュモラー
しゅもらー
Gustav von Schmoller
(1838―1917)

ドイツの経済学者。後期(新)歴史学派の中心的存在。チュービンゲン大学で学び、ハレ大学、シュトラスブルク大学教授を経て、1882年ベルリン大学教授(~1912)。1873年、A・ワーグナー、L・ブレンターノらと社会政策学会を設立し、指導的役割を演じた(1890年以降会長)。1878年以降『国家学・社会科学研究双書』Staats-und Sozialwissenschaftliche Forschungenの編集に参加し、また1881年、彼を中心に創刊され、後期歴史学派の研究発表機関となった『立法・行政および国民経済のための年報』Jahrbuch für Gesetzgebung, Verwaltung und Volkswirtschaftは、しばしば『シュモラー年報』と通称される。

 シュモラーは『19世紀ドイツ小工業の歴史』Zur Geschichte der deutschen Kleingewerbe im 19. Jahrhundert(1870)で名声を確立し、前期(旧)歴史学派の人々同様、経済史の研究を重要視したが、有名なC・メンガーとの方法論争や、M・ウェーバーとの価値判断論争の通俗的解説から印象づけられがちなほど理論を排したり、政策論議における倫理の理論や事実に対する優越性を主張したわけではない。経済学は理論のみを偏重することなく、補助科学としての経済史研究や心理学・倫理学援助をも求めるべきである、というのが彼の中心的主張であったといってよい。主著は『国民経済学原論』Grundriss der allgemeinen Volkswirtschaftslehre2巻(1900、04)。

[早坂 忠]

『山田伊三郎訳『国民経済学原論』全2巻(1914、16・冨山房)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「シュモラー」の意味・わかりやすい解説

シュモラー
Gustav von Schmoller
生没年:1838-1917

ドイツの経済学者。新歴史学派の重鎮。ビュルテンベルクに生まれチュービンゲン大学に学ぶ。最初生地の官吏となるが関税政策を批判して罷免され,1864年ハレ大学の経済学教授になり,シュトラスブルク大学を経て,82年ベルリン大学教授となって1913年まで在職。プロシア政府に重んじられて大学内外で行政上の要職につく一方,1872年社会政策学会を設立・主導し,また《シュモラー年報》(ただし,この名称は後年つけられたもの。1871創刊)ほか数種の定期刊行物を編集してドイツ社会科学界に重きをなした。彼を主導者とする新歴史学派は,倫理的・実践的性格を強く帯びている点で旧歴史学派と区別され,その実践的性格のゆえに講壇社会主義とも呼ばれている(〈歴史学派〉の項参照)。彼は経済学にとどまらず,歴史学,心理学などを含む総合的な社会科学の構築を目ざし,その意図は是とされるべきであるが,理論よりも歴史的・具体的な事実収集が重視され,その総合化は理論ぬきの総合化という色彩が強い。総じて彼にあっては理論と実践,理論と事実との間の境界が不明確であり,そのため前者をめぐってM.ウェーバーとの間に価値判断論争が,後者をめぐってC.メンガーとの間に方法論争が闘わされた。主著《法および国民経済の根本問題》(1875),《国民経済学原論》全2巻(1900-04)。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シュモラー」の意味・わかりやすい解説

シュモラー
Schmoller, Gustav von

[生]1838.6.24. ハイルブロン
[没]1917.6.27. バートハルツブルク
ドイツ歴史学派の代表的経済学者。テュービンゲン大学卒業。官吏辞任後,ハレ (1864) ,シュトラスブルク (72) ,ベルリン (82) の各大学で教え,後期歴史学派の指導者となった。抽象的,非現実的な古典派経済学に対し,経済現象の経験的・歴史的研究を提唱,ドイツ行政史の一側面として経済史の膨大な実証主義的研究を残し,18世紀プロシア王国の国制史と行政史に関する膨大な史料集"Acta Borussica"の編纂を指導した。一方,社会主義に反対しながらも,資本主義の生み出した悪を批判,経済学に倫理的基礎を与えようとし,社会政策の必要を主張,その歴史的,帰納的方法をめぐり K.メンガーとの間に方法論論争,また倫理的・政策的判断に関し M.ウェーバーとの間に価値判断論争を展開した。経済学者の最大の団体「社会政策学会」の創設を主導。 A.ワーグナーらの国家社会主義的右派と L.ブレンターノらの自由主義的左派との中間に位置した。主著『国民経済学概論』 Grundriss der allgemeinen Volkswirtschaftslehre (1900~04) 。 1881年に彼が発刊した『立法・行政および国民経済学年報』 (略して『シュモラー年報』 Schmollers Jahrbuch) は国制史・経済史研究の重要文献。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「シュモラー」の意味・わかりやすい解説

シュモラー

ドイツの経済学者,新歴史学派(講壇社会主義)の代表者。ベルリン大学教授。経済生活は倫理的価値実現をめざす文化生活であり,経済学は道徳的学問であるべきだとして理論よりも歴史,特に経済史の研究を強調した。この経済学の倫理化はM.ウェーバーとの間に価値判断論争を,また演繹(えんえき)的理論否定に反対するC.メンガーとの間に方法論争をまき起こした。ドイツ社会政策学会の創立者,《シュモラー年報》の発行者としても著名。主著《国民経済学原論》。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「シュモラー」の解説

シュモラー
Gustav von Schmoller

1838~1917

ドイツの経済学者。歴史的研究方法を重視し,また経済学のなかに倫理的観念を導入して社会政策の必要を説き,新歴史学派を樹立した。『シュモラー年報』を創刊し,社会政策学会を創立し,1882年以来ドイツの経済学界を支配した。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「シュモラー」の解説

シュモラー
Gustav von Schmoller

1838〜1917
ドイツの経済学者,新歴史学派経済学の祖
経済学を倫理と結びつけて国家干渉を合理化し,また経済史研究を重視して,社会政策学会の創立に参加した。主著『国民経済学原理』。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

367日誕生日大事典 「シュモラー」の解説

シュモラー

生年月日:1838年6月24日
ドイツ歴史学派の代表的経済学者
1917年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android