ショーン コネリー(英語表記)Sean Connery

現代外国人名録2016 「ショーン コネリー」の解説

ショーン コネリー
Sean Connery

職業・肩書
俳優

国籍
英国

生年月日
1930年8月25日

出生地
スコットランド・エディンバラ近郊ファウンテンブリッジ

本名
Connery,Thomas Sean

受賞
アカデミー賞助演男優賞(第60回)〔1987年〕「アンタッチャブル」,ゴールデン・グローブ賞助演男優賞(第45回,1987年度)「アンタッチャブル」,全米映画批評家協会賞〔1987年〕「アンタッチャブル」,エディンバラ自由市民賞〔1991年〕,ゴールデン・グローブ賞セシル・B.デミル賞(第53回,1995年度)

経歴
貧民街に生まれ、18歳の時海軍入隊除隊後、炭鉱夫、印刷所の使い走り、トラックの運転手、レンガ職人などをしながらウェイト・トレーニングに励み、1950年にロンドンで行われたミスター・ユニバースのコンテストでミュージカル舞台「南太平洋」の演出家に会い、同作のコーラスボーイとして出演。その後ロンドンで本格的に演技の勉強を開始し、’55年映画デビュー。タフな肉体が買われてB級アクションの端役を務める。テレンス・ヤング監督の「虎の行動」(’57年)に出演したのが縁で、同監督の「007は殺しの番号」(’62年)など〈007〉シリーズ6作に“ジェームズ・ボンド”役で出演、圧倒的好評を博し大スターの仲間入り。’74年の「オリエント急行殺人事件」あたりから演技に渋みが加わり、「風とライオン」(’75年)で新境地開拓。華やかなスター性とうま味の濃い性格俳優的要素を持ち、主演から印象的な脇役まで円熟の境地に達する。’87年「アンタッチャブル」でアカデミー賞助演男優賞を受賞。他の出演作に「王になろうとした男」(’75年)、「ロビンとマリアン」(’76年)、「ネバーセイ・ネバーアゲイン」(’83年)、「薔薇の名前」(’87年)、「プレシディオの男たち」(’88年)、「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」「ファミリー・ビジネス」(’89年)、「レッド・オクトーバーを追え!」「ロシアハウス」(’90年)、「グッドマン・イン・アフリカ」(’94年)、「理由」(’95年)、「ザ・ロック」「ドラゴンハート」(’96年)、「アベンジャーズ」(’98年)、「エントラップメント」(’99年)、「小説家を見つけたら」(2000年)、「リーグ・オブ・レジェンド/時空を超えた戦い」(2003年)など。1992年1月スコットランド民族党(SNP)に入党。2000年ナイト爵位を叙せられる。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

20世紀西洋人名事典 「ショーン コネリー」の解説

ショーン コネリー
Sean Connery


1930.8.25 -
英国の俳優。
ファウンテンブリッジ(エディンバラ近郊)生まれ。
18歳の時海軍に入隊するが病気で除隊。ウェイト・トレーニングを積み、ミスター・ユニヴァースに応募した事もあったが、その後ロンドンで演技の勉強をし、1955年「No Road Back」でデビュー、その後「007は殺しの番号」(’62年)でジェームスボンド役を演じ、これが彼の存在を不動のものとしシリーズになるが、金銭問題等からシリーズを降り、「オリエント急行殺人事件」(’74年)、「風とライオン」(’75年)等から新境地を開拓。「アンタッチャブル」(’87年)でアカデミー賞助演男優賞受賞。実業家としても知られる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「ショーン コネリー」の解説

ショーン コネリー

生年月日:1930年8月25日
イギリスの俳優

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

黄砂

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android