ジョン ルイス(英語表記)John Ruiz

最新 世界スポーツ人名事典 「ジョン ルイス」の解説

ジョン ルイス
John Ruiz
ボクシング

プロボクサー 元・WBA世界ヘビー級チャンピオン
生年月日:1972年1月4日
国籍:米国
出身地:マサチューセッツ州
経歴:6歳の時、米国ボストンに移住。アマチュアボクシングで実績を積み、1992年8月クルーザー級でプロデビュー、3戦目にヘビー級に転向。’95年6月WBCインターコンチネンタルヘビー級暫定王座を獲得したが、’96年3月陥落。’97年1月NABF北米ヘビー級暫定王座、’98年9月WBA北米ヘビー級暫定王座に就き、2000年2月WBAヘビー級1位に昇格。8月WBA世界ヘビー級王座決定戦でイベンダー・ホリフィールド(米国)に判定負けを喫したが、2001年3月再戦でホリフィールドを判定で降し、ヒスパニック系で初のヘビー級チャンピオンとなる。12月ホリフィールドをドローで退け、初防衛。2003年3月3度目の防衛戦で4階級制覇を目指す米国のロイ・ジョーンズ(Jr.)と対戦、判定負けで王座から陥落。12月ハシム・ラクマン(米国)に判定勝ちし、WBA世界ヘビー級暫定王座を獲得、2004年2月ジョーンズのライトヘビー級転向により正規王者に認定される。2005年4月初防衛戦でジェームズ・トニー(米国)に判定負けを喫したが、試合後にトニーの禁止薬物使用が発覚して無効試合となった。12月ニコライ・ワルーエフ(ロシア)に判定で敗れ王座陥落。2006年11月WBA世界ヘビー級王座挑戦者決定戦でルスラン・チャガエフ(ウズベキスタン)に判定負け。2008年8月WBA世界ヘビー級王座決定戦でワルーエフと再戦するが、判定で敗れた。2010年4月WBA世界ヘビー級決定戦でデービッド・ヘイ(英国)に挑むも4回のダウンを喫し、9回TKO負け。プロ通算戦績は、44勝(30KO)9敗1分1無効試合。188センチの右ボクサーファイターで、“クワイエットマン(静かな男)”の異名で知られる。

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現代外国人名録2016 「ジョン ルイス」の解説

ジョン ルイス
John Lewis

職業・肩書
政治家 米国下院議員(民主党)

国籍
米国

生年月日
1940年2月21日

出生地
アラバマ州

学歴
フィスク大学,バブテスト神学校

勲章褒章
自由勲章(米国大統領)

経歴
米国公民権運動の黒人指導者キング牧師演説をラジオで聞き、公民権運動に身を投じる。1961年“フリーダム・ライド”運動に参加。学生非暴力調整委員会(SNCC)議長を務めていた’63年8月、差別撤廃を求め25万人が参加したとされる集会(ワシントン大行進)において、リンカーン記念堂でキング牧師と同じ演壇に登り演説した10人の一人。’60年代後半黒人参政権運動指導者となり、“公民権運動が生んだ最も勇敢な人間の一人”と言われる。’81年アトランタ市議を経て、’86年以来ジョージア州選出の民主党下院議員を務める。2008年民主党の大統領候補選びで、当初はヒラリー・クリントンを支持していたが、バラク・オバマ支持に転じ、アフリカ系の支持がオバマに雪崩を打つきっかけのひとつとなった。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

20世紀西洋人名事典 「ジョン ルイス」の解説

ジョン ルイス
John Lewis


1920.5.3 -
米国のジャズ演奏家。
イリノイ州ラグランジ生まれ。
別名John Aaron Lewis。
大学で人類学と音楽を専攻し、1942〜45年兵役後、ケニー・クラークの勧めで、ディジー・ガレスピー楽団に参加。’48年マイルス・デイビスの9重奏団に参加。’54年〜74年モダン・ジャズ・カルテットの名で活動し、MJQのミュージカル・ディレクターとしてあらゆる可能性に挑戦。’81年MJQ再編後も活動を続け、代表作「ジャンゴ/MJQ」、「フォンテッサ MJQ」、「ザ・ジョン・ルイス・ピアノ」、「プレリュードとフーガ」他。’81年来日。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

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