ジョン ル・カレ(英語表記)John Le Carré

現代外国人名録2016 「ジョン ル・カレ」の解説

ジョン ル・カレ
John Le Carré

職業・肩書
スパイ作家

国籍
英国

生年月日
1931年10月19日

出生地
ドーセットシャー州プール

本名
コーンウェル,デービッド・ジョン・ムア〈Cornwell,David John Moore〉

学歴
ベルン大学(スイス)卒,オックスフォード大学リンカーン・カレッジ卒

受賞
CWA賞〔1963年〕「寒い国から帰ってきたスパイ」,サマセット・モーム賞〔1963年〕「寒い国から帰ってきたスパイ」,MWA賞長編賞〔1965年〕「寒い国から帰ってきたスパイ」,CWA賞ゴールドダガー賞〔1977年〕「スクールボーイ閣下」,ジェームズ・テイト・ブラック記念賞〔1977年〕「スクールボーイ閣下」,MWA賞巨匠賞〔1984年〕,CWA賞ダイヤモンドダガー賞〔1988年〕,ゲーテメダル(ドイツ)〔2011年〕

経歴
英国のパブリック・スクールの教育を嫌って、16歳の時にスイスのハイ・スクールに移り、ベルン大学ではドイツ文学を学ぶ。ドイツ語に特殊な才能を示し、1959〜64年ウィーンを根拠とする英国の情報部に招かれ、部員として働いたこともある。この経験が社会的視野を広くし、後の作家活動に役立つ事になる。その後、オックスフォード大学で法律を学び学位を取る。数年間、名門イートン校で教えるが、’61年外務省書記官となり、西ドイツ駐在。’63〜65年はハンブルク領事を務める。傍ら小説の執筆に取り組み、’61年処女作「Call for the Dead(死者にかかってきた電話)」を発表、’61年度のCWA賞の次席になる。’63年冷戦時代のスパイ小説の古典となる「The Spy Who Came in from the Cold(寒い国から帰ってきたスパイ)」を発表、ベストセラーとなり、CWA賞やサマセット・モーム賞などを受賞。’64年3月官を辞して、作家として自立。その後の作品に「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」(’74年)をはじめとするスマイリー3部作や、「リトル・ドラマー・ガール」(’83年)、「パーフェクト・スパイ」(’86年)、「ロシア・ハウス」(’89年)、「ナイト・マネジャー」(’93年)、「われらのゲーム」(’95年)、「パナマの仕立屋」(’96年)、「シングル&シングル」(’99年)、「ナイロビの蜂」(2000年)、「サラマンダーは炎のかなたに」(2004年)、「われらが背きし者」(2010年)などがある。多くの作品が映画化・ドラマ化されヒットした。’93年かつてMI5、MI6のスパイだったことを認める。’97年ロシアのプリマコフ外相の私的晩さん会に招待され話題となる。2000年にはオックスフォード大学在学中に左翼系学生をスパイし、英国の秘密情報機関に密告していたことを明かす。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

20世紀西洋人名事典 「ジョン ル・カレ」の解説

ジョン ル・カレ
John Le Carrié


1931 -
英国の小説家
南イングランド・プール生まれ。
1956年イートン校の教師となり、’59年からは外務書記官となって西ドイツに駐在する。’63年「寒い国から帰ってきたスパイ」が大成功、イギリス推理作家協会賞、サマセット・モーム賞を受賞する。その他の作品は「死者にかかって来た電話」(’60年)、「高貴なる殺人」(’62年)、「鏡の国の戦争」(’65年)、「スマイリーと仲間たち」(’74〜80年)など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

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