スワジランド(英語表記)Swaziland

翻訳|Swaziland

精選版 日本国語大辞典 「スワジランド」の意味・読み・例文・類語

スワジランド

(Swaziland) アフリカ大陸の南東部、南アフリカ共和国モザンビーク共和国との間にある立憲君主国。正称はスワジランド王国。一九六八年イギリス保護領から独立。住民はバンツー系に属するスワジ族。石綿、鉄鉱石、砂糖などを産出する。首都ムババーネ。

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改訂新版 世界大百科事典 「スワジランド」の意味・わかりやすい解説

スワジランド
Swaziland

基本情報
正式名称=スワジランド王国Kingdom of Swaziland 
面積=1万7364km2 
人口(2008)=117万人 
首都ムババネMbabane(日本との時差=-7時間) 
主要言語=英語,スワジ語 
通貨=リランゲニLilangeni(複数エマランゲニEmalangeni)

アフリカ南部,南アフリカ共和国とモザンビークに挟まれた内陸の小国。王制をとる。王宮は首都ムババネから約5km離れたロジスレジにある。

国土は,トランスバール高原からモザンビーク平原に下る傾斜部に含まれ,西部のハイ・ベルト(標高1000~1700m)から,ミドル・ベルトを経て,東部のロー・ベルト(200~400m)へと低下する。南緯26~27°に位置し,月平均気温は,東部で1月27℃,7月19℃,高度のため温和化する西部で1月20℃,7月12℃を示す。降水はインド洋から南東モンスーンの吹く10~3月に集中し,東部で平均年500~700mm程度であるが,西部高地では1000~2000mmにも達する。したがって,水量の豊かな河川に恵まれ,北からコマティ川,ウンベルージ川,ウストゥ川などの本・支流が並ぶ。
執筆者:

総人口の90%はバントゥー系のスワジ族Swaziで,そのほかズールー族,トンガ族,シャンガーン族などの部族がいる。また白人とカラード(混血)も少数が居住している。スワジ族はトウモロコシなどを主作物として栽培する農耕民で,牛などの家畜も飼養する。16世紀にこの地に定着し,19世紀初頭にはスワジ王国を形成した。その後イギリス領を経て,1968年にスワジランド王国として独立した後も,引き続いて伝統的な政治組織が存続した。政府が白人の資本を導入し優遇する一方で,一般民衆は自給農業にとどまり,現金収入の道を賃金労働に求めるため,成人男子のほとんどは出稼ぎへ出ている。とくに南アフリカ共和国の鉱山労働者として成人男子の15%が出かけている。公用語としては英語とスワジ語が用いられる。スワジ語はクリック(舌打音)をもっている。人口の60%はキリスト教に改宗しているが,部族の伝統的な宗教も残っている。
執筆者:

この地域の歴史は遺跡から石器時代にさかのぼれるが,現在のスワジ族が定着する以前の先住民としてサン(ブッシュマン)がおり,その証拠として岩壁画が国内に広く分布している。16世紀にバントゥー族が北方より南下してき,その一派のスワジ族がこの地域に定着した。19世紀初頭にスワジ族はスワジ王国を形成したが,近隣のズールー王国と争うことが多かった。また南方のイギリス領ケープ植民地から内陸に移動したボーア人は,1840年代に海への出口を求めてこの地域の併合を企てた。このような二つの圧迫を受けてスワジ王国は,イギリスの保護下に入ったり,ボーア人の統治下に置かれたりしたが,ボーア戦争後の1902年正式にイギリス高等弁務官領となった。しかしイギリスの間接統治支配下でスワジ族の伝統的政治組織はそのまま残された。21年即位したソブフザ2世Sobhuza Ⅱ(1899-1982)は,白人に奪われた土地の奪回を目ざしたが成功しなかった。60年の多くのアフリカ諸国の独立の影響を受けて63年に制憲会議が開かれ,ついで翌64年新憲法の下で総選挙が行われ,国王を党首とするインボコドボ国民運動が圧勝した。67年には内政の自治を得,68年9月6日スワジランド王国として独立し,ソブフザ2世を頂く立憲君主国となった。

独立後,国会は上院12名,下院30名の二院制(議席はすべてインボコドボ国民運動)によって運営されたが,72年の総選挙で野党ヌグワネ民族解放会議(党首ズワネ)が3議席を獲得すると,国王は翌73年憲法を廃止して議会を解散し,同時に政党活動を禁止した。そして国王はティンクンドラTinkhundlaと呼ばれる族長会議を諮問機関として行政,立法,司法の三権を独占した。77年この国王独裁に対して学生が暴動を起こしたが弾圧された。78年に新憲法が公布されたが,新設の二院制議会の議員は国王の任命議員と間接選挙による議員からなる。さらに国王は閣僚任命権,立法拒否権を有し,国王独裁色の強い憲法となっている。これに対し反国王勢力はスワジランド解放運動を組織したが,指導者は直ちに逮捕・拘禁された。82年ソブフザ2世が死亡し,その後約1年間,後継者をめぐって王室内部で抗争が展開されたが,83年にマホセティベ王子(1968- )を成人後即位させることが決定された。86年4月,王子はムスワティ3世Mswati Ⅲとして即位した。ムスワティ3世は自己の権威拡大のためティンクンドラを重用した。しかし90年以降の政治的民主化要求が高まる中で同年1月ヌグワネ民族解放会議のズワネ党首が直接議会選挙制を主唱し,人民連合民主化運動(PUDEMO)も王室支配を批判した。これらに対し国王は軍と警察を使い弾圧した。しかしPUDEMOに対する国民の支持は高まり,国王はティンクンドラの見直しに合意し,委員会(ブセラ)を発足させた。ブセラの勧告により国王は93年前半の議会選挙実施を約束した。議会選挙は93年10月に実施され,首相を含む前閣僚のほとんどは議席を失った。しかし政党活動は依然として禁止されており,複数政党制を認める新憲法の制定が急務となっている。95年初め以降,反国王勢力の中心は政治組織からスワジランド労働組合連合(SFTU)に移り,95年3月と96年1月にSFTUは27項目の要求を掲げてゼネストを実施した。

地勢が西側から山岳地帯,高原地帯,低地帯に分かれ,国土全域を三つの大きな川が東西に流れているため,山岳地帯(ここでは林業が主)を除き地味は豊かで,農業,牧畜に適している。白人の入植している高原地帯のロマティ,マルカーンス・バレーではかんきつ類,米,パイナップル,低地帯のムルメ,ビッグ・ベントでは灌漑によってサトウキビ,綿花などの輸出用農産物が栽培されている。アフリカ人地域ではトウモロコシ,モロコシ,いも類の自給用作物生産が中心である。林業,鉱業は外国資本によって生産され,林業ではウストゥ・パルプ会社(イギリス系),鉱業ではハベロック・アスベスト鉱山(イギリス系),ムパカのスワジランド炭鉱会社(南ア系)が主体となっている。隣国に工業国南ア共和国があるため工業は未発達で,高原地帯のマンジニ工業区には日本資本との合弁によるジッパー製造工場,テレビ部品製造下請工場,肥料工場などがあるにすぎない。
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百科事典マイペディア 「スワジランド」の意味・わかりやすい解説

スワジランド

◎正式名称−スワジランド王国Kingdom of Swaziland。◎面積−1万7364km2。◎人口−120万人(2010)。◎首都−ムババーネMbabane(行政府,6万人,2007),ロバンバLobamba(立法府)。◎住民−バントゥー系スワジ人90%,ズールー人,トンガ人のほか,白人,カラードが少数。◎宗教−キリスト教60%,土着宗教。◎言語−スワジ語,英語(以上公用語)。◎通貨−リランゲニLilangeni(南ア・ラントと等価。複数エマランゲニEmalangeni)。◎元首−国王,ムスワティ3世Mswati III(1968年生れ,1986年4月即位)。◎首相−バーナバス・シブシソ・ドラミニBarnabas Sibusiso Dlamini(2008年10月発足)。◎憲法−2006年2月施行。◎国会−二院制。上院(定員30,任期5年),下院(定員65,任期5年)。最近の下院選挙は2013年9月。◎GDP−26億ドル(2008)。◎1人当りGNP−2430ドル(2006)。◎農林・漁業就業者比率−36%(1997)。◎平均寿命−男49.6歳,女48.3歳(2013)。◎乳児死亡率−55‰(2010)。◎識字率−87%(2008)。    *    *アフリカ南部,南ア共和国とモザンビークとの境界に位置する小王国。内陸国で,西部は平均標高1200mの山地。東部にいくほど低地となっている。年降水量は600〜1300mm。農業,牧畜が主で,主要農産物はサトウキビ,トウモロコシ,米,綿花,タバコなど。林業も盛ん。世界有数のアスベストをはじめ,鉄,金,石炭などの鉱産資源に恵まれ,鉄鉱石は主として日本に輸出する。 1820年ごろ,ズールー人から分かれたスワジ人がこの地に定住し,王国を築いた。1890年英国および南アフリカ連邦の共同保護領となり,ボーア戦争後の1903年英保護領となった。1968年イギリス連邦の一員として独立した。2002年から,国王により任命された憲法起草委員会によって新憲法草案の作成が進められ,2003年5月国王に憲法草案が提出され,同年11月国王に承認された。HIVの感染率(15〜49歳)がきわめて高く,深刻な社会問題となっている。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「スワジランド」の解説

スワジランド
Swaziland

南アフリカ,モザンビークの国境の山地にある小王国。首都ムババネ。1820年頃スワジ人が王国を建設,19世紀末以降の争奪戦のなかでイギリス保護領として「延命」,1968年独立。今なお伝統的王制が存続する。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「スワジランド」の意味・わかりやすい解説

スワジランド
すわじらんど

エスワティニ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「スワジランド」の意味・わかりやすい解説

スワジランド

エスワティニ」のページをご覧ください。

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