セダンの戦(読み)セダンのたたかい

百科事典マイペディア 「セダンの戦」の意味・わかりやすい解説

セダンの戦【セダンのたたかい】

普仏戦争勝敗を決した戦い。1870年9月フランス北部のスダンSedan(セダンとも)で戦われ,フランス皇帝ナポレオン3世は捕虜となり,10万の兵士とともに降伏第二帝政は崩壊した。
→関連項目マクマオン

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典(旧版)内のセダンの戦の言及

【普仏戦争】より

…1870年7月14日,フランスの開戦決定をもって両国間に戦端が開かれた。南ドイツ諸邦軍をふくむプロイセン・ドイツ軍は連戦連勝し,9月2日ナポレオン3世をフランス北東セダンSedanの地に包囲・降伏させた(セダンの戦)。フランスには共和政権が樹立され,対独抵抗戦が続けられたが,71年1月28日パリを開城するに至り,5月講和条約が結ばれた。…

※「セダンの戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android