出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
北アメリカ,五大湖東端のオンタリオ湖から大西洋へ注ぐ大西洋岸最大の川。フランス語ではサン・ローラン川Le Saint-Laurent。上流部はカナダとアメリカの国境をなす。モントリオール付近で支流のオタワ川と合流し,トロア・リビエールを経て,ケベックに至り,ここから下流で川幅が急に広がって,河口部のアンティコスティ島付近では川幅が150kmほどある。トロア・リビエールから下流は感潮河川。この間の長さは1167kmであるが,広義のセント・ローレンス川つまりセント・ローレンス水系は,五大湖をも含み,世界有数の水系で,全長3060km,流域面積129万km2に及ぶ。白人侵入以前,セント・ローレンス川の沿岸ではアルゴンキアンやイロコイ族のインディアンが生活していた。1535年,フランスのJ.カルティエが現在のモントリオールまでさかのぼった。17世紀に入るとケベック,トロア・リビエール,モントリオールなどにフランスの毛皮交易所がおかれ,さらに内陸部への植民の交通路の役割を果たした。1763年以降,カナダがイギリス領となってからは,イギリスへ輸出される毛皮,木材,小麦などが沿岸の港から積み出された。
はやくも1680年にモントリオール付近の急流を航行するための運河が掘られているが,各地に急流があるセント・ローレンス川の水深を掘り下げ,船の航行を容易にすることは沿岸の発展のための長い間の懸案だった。エリー湖とオンタリオ湖の間のナイアガラ滝を迂回するウェランド運河Welland Canalが1829年に開通して,大西洋から直接大陸内部へ入る航路が開かれた(数度の改良工事が行われ,現在の運河は全長43km,両湖間の99mの落差を八つの閘門(こうもん)を設けて航行可能にしている)。19世紀末からカナダとアメリカの間でセント・ローレンス川の水路改良に関して交渉がつづけられていたが,たびたび計画が遅延し,ようやく1954年水路開削と水力発電ダム建設の工事が開始され,1959年,セント・ローレンス水路Saint Lawrence Seawayが完成した。その結果,モントリオールからスペリオル湖まで,2万7000トンの積載能力をもつ外洋船が,16の閘門を通って180mの落差を遡航(そこう)することが可能になった。この水路によって,ラブラドルの鉄鉱石などが五大湖の鉄鋼産業に供給され,逆に小麦,トウモロコシ,大豆などの穀類が海外へ輸出されている。しかし,冬季の結氷や,最近の大型コンテナ船が通過できないなどの問題も抱えている。
執筆者:正井 泰夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
五大湖から大西洋のセントローレンス湾に注ぐ大河。流域にモントリオールやケベック市などがあり,毛皮や木材,小麦など,カナダの東西通商通路の枢軸となり,一部でアメリカ‐カナダ国境と重なるため,アメリカの通商路としても重要。アメリカ‐カナダ協力での改修工事で,1859年に外洋大型船舶も航行可能な全長約3800kmのセントローレンス水路が完成。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…テムズ川やエルベ川のように,水深が大きいために海上交通と内陸交通の接触点として重要な港湾施設が立地する所も多い。カナダのセント・ローレンス川の河口部が世界最大のエスチュアリーといわれている。【米倉 伸之】。…
…楯状地東部は高原・台地状のラブラドル半島で,ここはカナダ随一の鉄鉱石産地となっている。楯状地の南東側,セント・ローレンス・五大湖低地は,カナダで最も都市化・工業化の進んだ地域であり,全人口の約60%が居住する。セント・ローレンス川の東側,大西洋に面した地域およびニューファンドランド島は,アパラチア山脈の延長部にあたり,丘陵性の地形をしめす。…
※「セントローレンス川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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