正式には零式(れいしき)艦上戦闘機といい零戦(れいせん)とも略称される。旧日本海軍が,日中戦争から太平洋戦争全期にわたって使用した艦上戦闘機。1937年から三菱重工業が堀越二郎を設計主任として開発を行い,39年初飛行,以後海軍により試験・改良が行われ,40年(皇紀2600年)制式採用となった。皇紀の末尾数字を取って零式といわれるが,アメリカが“ゼロ・ファイター”と呼んだため,ゼロ戦の呼名が戦後普通になった。旧日本軍機のなかでは最大の1万0430機が生産された。いくつかの型があるが,大戦初期に使用された二一型で,全幅12.0m,全長8.79mで,940馬力の空冷エンジンから最大速度509km/h(高度5000m)を引き出した。徹底した重量軽減と抵抗減少により,小型ながら当時の世界の水準をこえた性能を有し,特に運動性能と航続性能に優れていた。40年,中国空軍機(ソ連製)との戦闘を初めとし,太平洋戦争中期まで圧倒的優勢を誇ったが,以後アメリカがP38,F6Fなどの大馬力で,速度および上昇性能に優れた戦闘機を多数前線に投入しはじめると,形勢は逆転した。最後は爆弾を装備し特攻機としても使用された。日本はゼロ戦の後継機の開発・量産が遅れ,航空劣勢を挽回(ばんかい)できないまま終戦をむかえた。なおゼロ戦は国内では国立科学博物館,航空自衛隊浜松南基地資料館(現,航空自衛隊浜松広報館),京都嵐山美術館(91年閉館。現在は呉市海事歴史科学館で展示)に展示されている。
執筆者:鷹尾 洋保
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