タイソン(西山)党の乱(読み)タイソンとうのらん(英語表記)Giǎc Tây so'n

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「タイソン(西山)党の乱」の意味・わかりやすい解説

タイソン(西山)党の乱
タイソンとうのらん
Giǎc Tây so'n

ベトナムの黎朝末期,クイニョン (帰仁) のタイソン村の阮氏 3兄弟 (阮文岳,阮文呂,阮文恵) によって起された反乱長兄の阮文岳は徴税吏であったが,税金を賭博に使い,タイソンの山に逃れ 1771年反乱を起した。当時この地を支配していた阮氏の圧政に苦しんでいた農民大衆の支持を得て反乱は急速に拡大し,まず阮氏を,次いで北方豪族である鄭氏およびその上に虚位を保っていた黎朝をも滅ぼした。阮文岳は 87年以来王朝を樹立し,国土を3分して3兄弟とその一族で統治し,翌年黎朝の要請で侵入した清の乾隆帝の精兵 20万をも,阮文恵が撃退した。しかし阮兄弟の間は次第に不和となり,1802年阮氏の生残り阮福映の攻撃に敗れて阮文恵の子阮光纉が処刑され,タイソンの乱は勃発から 30年で終りを告げた。

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