ダンネマン(英語表記)Friedrich Dannemann

デジタル大辞泉 「ダンネマン」の意味・読み・例文・類語

ダンネマン(Friedrich Dannemann)

[1859~1936]ドイツ科学史家・科学教育者。ボン大学教授。自然科学史の分野を開拓し、科学史の著作多数残した。主著大自然科学史」。

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精選版 日本国語大辞典 「ダンネマン」の意味・読み・例文・類語

ダンネマン

(Friedrich Danneman フリードリヒ━) ドイツの自然科学史家。自然科学史という新しい分野を開拓し、その研究を促した。著「大自然科学史」など。(一八五九‐一九三六

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改訂新版 世界大百科事典 「ダンネマン」の意味・わかりやすい解説

ダンネマン
Friedrich Dannemann
生没年:1859-1936

ドイツの科学史家。ブレーメン出身で,ハイデルベルクベルリンハレの各大学で物理学化学植物学哲学,歴史を学び,科学史専攻を志す。バルメン市の実科学校の化学教師,のち同校校長となる。のちにボン大学の助教授になり科学史講座を担当した。主著は大作《大自然科学史Die Naturwissenschaften in ihrer Entwicklung und in ihrem Zuzammenhange》4巻(1910-13)で,ほかに《自然科学史概説》(1896),《自然科学的問題の発生について》(1928)などがある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ダンネマン」の意味・わかりやすい解説

ダンネマン
Dannemann,Friedrich

[生]1859.12.28. ブレーメン
[没]1936
ドイツの科学史家。ハイデルベルク,ベルリン,ハレの諸大学で,哲学,物理学,化学,植物学を学び,さらに自然科学と歴史に興味をいだいた。職業学校の化学教師に,次いで校長になった。在職中,自然科学の教授法や自然科学の研究に専念。 O.ゲーリッケの『真空論』をラテン語からドイツ語に翻訳。その後,各地の図書館で科学の古典をあさり,欧米の学芸文化を視察。主著に科学史の大著『大自然科学史』 (1910~13) がある。

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百科事典マイペディア 「ダンネマン」の意味・わかりやすい解説

ダンネマン

ドイツの科学史家。ハイデルベルク,ベルリン,ハレ各大学で物理学,化学,植物学,哲学,歴史学を学び,化学教師などを経てボン大学教授となる。大著《大自然科学史》で知られる。

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367日誕生日大事典 「ダンネマン」の解説

ダンネマン

生年月日:1859年12月28日
ドイツの自然科学史家
1936年没

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世界大百科事典(旧版)内のダンネマンの言及

【科学史】より

…したがって,科学の特権性を過去の歴史のなかに跡づけ,あるいはそうした体系の部分的な一片一片を,他の文化圏の歴史のなかに発見するという,データ探しが,19世紀の動きを受けついだ20世紀前半の重要な学問上の目標となった。 ベルギーに生まれ,1915年からアメリカに渡ったG.サートンの大著《科学史序説》(1927‐47),ドイツのF.ダンネマンの《大自然科学史》(1910‐13),あるいはフランスのP.タンヌリーの《科学史論集》(1912‐50),イギリスのC.シンガーの一連の著作活動など,いずれも百科事典的な浩瀚(こうかん)な内容をもつもので,データの集積作業であった。それとともに,科学史はこの時期に学問としても制度化されはじめ,サートンが1912年に創刊した論文誌《アイシスIsis》は,アメリカ科学史学会(1924設立)の機関誌として今日に至っており,国際的にも最も権威ある学会誌の一つになっている。…

※「ダンネマン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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