テイヤールドシャルダン(英語表記)Pierre Teilhard de Chardin

デジタル大辞泉 「テイヤールドシャルダン」の意味・読み・例文・類語

テイヤール‐ド‐シャルダン(Pierre Teilhard de Chardin)

[1881~1955]フランスイエズス会司祭・古生物学者。進化論キリスト教統合、宇宙進化の中心人間を据えた。北京原人発見に参加したことでも知られる。著「自然界における人間の位置」「現象としての人間」など。

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改訂新版 世界大百科事典 「テイヤールドシャルダン」の意味・わかりやすい解説

テイヤール・ド・シャルダン
Pierre Teilhard de Chardin
生没年:1881-1955

フランスのカトリック司祭,イエズス会士,古生物学者。近代自然科学の世界観,とくに進化論的世界観とキリスト教的世界観を総合することを提唱し,その実現をめざした。イギリスで哲学神学を学び,司祭になり,帰国後M.ブールの下で古生物学を研究。第1次世界大戦では看護兵として徴集され,戦後ソルボンヌ大学で博士号を取得。パリ・カトリック大学で短期間教鞭を執った後,1923年から46年まで中国地理学会の顧問として中国,アジア北部の古生物学と層位学の研究に従事し,この間周口店洞穴の発掘調査に参加したほか,中央アジア,インド,ビルマ(現,ミャンマー)などへの数多くの探検に参加している。46年から55年ニューヨークで客死するまで,短期間フランス,大部分をアメリカのウェナー・グレン人類学研究財団所員として,宇宙的規模をもつ特別な生物学的単位としての人類の遺伝的構造をきわめる研究に没頭した。この間彼は上記の財団から南アフリカに派遣され,サハラ砂漠以南のヒト科の生物の起源を探っている。この探検のさいの書簡集(《ある旅人の手紙》1956)は彼の生涯と思想の展開を知る上で重要な文献である。生前,彼の思想は哲学・神学的に問題があるとみなされ,教職を追われ,著作の出版もローマ教皇庁によって禁止された。アカデミー・デ・シアンスへの推挙教皇庁の命令によって辞退させられた。彼がニューヨークで学究生活を送ったのもこのためである。死後《現象としての人間》(1955),《神のくに》(1957)など彼の著作は次々と出版され,熱烈に迎えられたが,1962年検邪聖省(教理聖省)が彼の思想についての注意書を発表したことに見られるように,教皇庁の警戒の姿勢は続いていた。しかしとくに第2バチカン公会議(1962-65)後,精神と物質,身体と霊魂,自然と超自然をキリストにおいて統合し,宇宙的な視点によってまとめ上げた20世紀の偉大なキリスト教思想家とみなされるようになった。確かに,彼の思想には,罪の問題が明確に取り上げられていないことなど多くの難点がある。しかし,彼が全世界の未来にキリスト教を結びつけた貢献は忘れられないであろう。
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世界大百科事典(旧版)内のテイヤールドシャルダンの言及

【物活論】より

…のち自然の非生命性,非自動性を主張する近代の機械論的自然観が支配的となった時期に,カントは物活論を,自然科学の基礎としての惰性律に反するとして批判した。現代では,A.N.ホワイトヘッド,テイヤール・ド・シャルダンらもある意味で物活論的思考の系譜に置いてみることができよう。生気論【広川 洋一】。…

※「テイヤールドシャルダン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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