テペガウラ(英語表記)Tepe Gawra

改訂新版 世界大百科事典 「テペガウラ」の意味・わかりやすい解説

テペ・ガウラ
Tepe Gawra

イラク北部,モースルの北東約25kmにあって,北メソポタミア先史時代における層位関係の基準となる遺跡テペガウラは〈大マウンド〉を意味するが,長径約170m,高さ22mの楕円形をなし,付近のテルでは最大である。前5千年紀に属するハラフ期ハラフ文化)のⅩⅩ層から,前2千年紀中ごろにフルリ人が居住していたⅠ層まで,連続して最も豊富な資料を提供している。バグダードのアメリカ東方研究学院とペンシルベニアの大学博物館とが,E.A.スパイザーとC.バーチェを交互に隊長として合同調査隊を派遣し,1931-38年に発掘した。当初の目標は,このマウンドを掘り尽くしてテル全体の内容と歴史を完全に検討しようというもので,両大戦間の,いかにもアメリカ調査隊らしい,発掘の実際を知らずに立てられた計画であった。もちろん全掘の計画は大きく変更されたが,発掘の技術的水準は別として,多くの資料を提供する結果となった。

 テル内部のほかに東麓にトレンチを入れ(A地区),6層からなる3~6mの文化層を発掘して自然層に到達した。そのうち4層がⅩⅩ層より古いハラフ期の土器を含み,人間が居住したことによって形成された高さは約27mとなり,ABCを付した層を加えると全体で29層が数えられた。最下層には廃用ののち墓坑に転用された井戸があった。ⅩⅨ層からⅩⅡ層までが南のウバイド期ウバイド文化)の強い影響下に形成された文化で,土器と,とくにⅩⅢ層の神殿シュメールと共通する要素が認められる。このⅩⅢ層神殿はテルの頂上を占めてアクロポリスのような形になっていたので,この時期の住民は,テルの周辺に居住していたようであるが,周辺部が発掘されていないので,具体的な状況はわからない。ⅩⅡ層が火災に遭ったのち,ⅩⅠA層からⅧB層は南メソポタミアのウルク期ウルク文化)にあたるが,これをウルク期とする呼び方と,南との共通点が少ないことを重視してガウラ期という呼び方と,折衷案ともいうべきウルク・ガウラ期という呼び方の3通りが使われている。しかしペルシア湾産の貝製品や,アフガニスタン北東部産のラピスラズリが多く出土している。次のⅧA層とⅦ層がジャムダット・ナスル期に相当するニネベ5期で,初期王朝期末まで続く。ウルク期末からジャムダット・ナスル期にかけて南メソポタミア文化は大きく拡大し,北メソポタミアにもその影響が認められる(ジャムダット・ナスル文化)。しかしそれは北方山麓ぞいの遺跡の西からニネベまでであって,ニネベのすぐ近くにあるテペ・ガウラでは認められていない。独自な文化をもっていたことによるのであろう。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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