ディオニュシオス2世(読み)ディオニュシオスにせい(英語表記)Dionysios II

改訂新版 世界大百科事典 「ディオニュシオス2世」の意味・わかりやすい解説

ディオニュシオス[2世]
Dionysios Ⅱ
生没年:前400ころ-前330ころ

シラクサ僭主ディオニュシオス1世長子在位,前367-前344年。1世の死により後を継ぐが,政治的能力と軍事的野心を欠いていた。哲学研究を好んで哲学者宮廷へ招いたが,プラトンによる哲人王教育の試みは失敗した。前357年にシラクサをディオンに占領されるが,前347年に奪い返す。前344年コリントスから派遣されたティモレオンに降伏し,コリントスに送られて余生を過ごした。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ディオニュシオス2世」の意味・わかりやすい解説

ディオニュシオス2世
ディオニュシオスにせい
Dionysios II

古代シチリア,シラクサ (シラクーザ ) の僭主 (在位前 367~356,前 354~343) 。ディオニュシオス1世長男。 30歳頃父の跡を継ぎ,ただちにカルタゴ和平を結ぶ。父と異なり軍事的野心にも政治的才覚にも欠けた優柔な性格で,宮廷に哲学者らを招き,その影響を受けながらも,彼の教育のため来訪したプラトンおよびその計画を企てたディオンを退けた。前 356年イタリア滞在中にディオンにより支配権を奪われ,ディオンの暗殺により一時奪還したものの,僭主政打倒のため到着したコリントのチモレオンに投降し (前 343) ,以後コリントに移り住んだ。

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世界大百科事典(旧版)内のディオニュシオス2世の言及

【シチリア[島]】より

…その後一時民主政が興ったが根付かず,前5世紀末の前後2回にわたるアテナイ軍遠征の失敗とカルタゴの侵入はシチリアにおける内紛を再燃させ,その収拾の過程で再び僭主政が興った。シラクサを中心として,ディオニュシオス1世ディオニュシオス2世アガトクレスらの僭主が出現した。この間,前4世紀前半に哲人王を理想としたプラトンが3度シラクサを訪れたことは有名である。…

【ディオン】より

…シラクサの有力な政治家。ディオニュシオス1世の義弟で義理の息子。前389年にシチリアを訪れた哲学者プラトンの教えに傾倒し,1世の死後その後を継いだディオニュシオス2世を〈哲人王〉とすべく試みるが失敗してアテナイに亡命。…

※「ディオニュシオス2世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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