トゥサンルベルチュール(英語表記)François Dominique Toussaint L'Ouverture

改訂新版 世界大百科事典 「トゥサンルベルチュール」の意味・わかりやすい解説

トゥサン・ルベルチュール
François Dominique Toussaint L'Ouverture
生没年:1743-1803

ハイチ独立運動の指導者。〈ブラック・ジャコバン〉と呼ばれる。イスパニオラ島のフランス植民地サン・ドマングのブレダ農園に生まれた奴隷であったが,御者獣医,家令としてラテン語やフランス語,数学の知識をもち,奴隷解放と独立を夢見ていた。1793年フランスがスペインと戦争に入ると,彼は島の東部サント・ドミンゴ)を支配するスペイン軍に参加し,優れた軍事的才能を発揮した。だが94年スペイン軍と手を切り,フランス軍に帰順して,奴隷を解放し,島の平和建設に着手しようとした。彼はフランス総督を巧みに追放し,その間イギリス軍が介入したため抗戦の末,98年これを打破し,事実上全島を黒人手中に収めた。しかし,島の再征服を図るナポレオン奸計によって,1802年逮捕され,03年4月アルプス山中で獄死した。だが同年11月ルベルチュールの遺志を継ぐ人々によって,島の完全独立が達成された。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のトゥサンルベルチュールの言及

【カリブ海】より

…奴隷の抵抗としては,1730年代にジャマイカで起こったマルーン戦争が有名だが,その規模が最も大きな反乱は,フランス革命の影響のもとで91年にサン・ドマングで起こった奴隷の大蜂起である。トゥサン・ルベルチュールの指導で進められたこの反乱は,やがて当時ヨーロッパで最強であったイギリス軍やナポレオンの軍隊を撃退して,1804年ついに世界で最初の黒人共和国ハイチとして独立した。世界史上空前の事件である。…

【ハイチ】より

…フランスはここをサン・ドマングと命名し,奴隷労働に基づく綿花,砂糖,コーヒー栽培を行い,18世紀末には奴隷人口は40万人に達した。1791年8月,フランス大革命の影響を受けて奴隷反乱が発生し,解放奴隷トゥサン・ルベルチュールの指導下でそれが独立革命に発展した。1801年に憲法が制定され彼は終身総督となったが,ナポレオンは2万5000の兵士を派遣して革命の鎮圧に当たった結果,ルベルチュールは捕らえられ,03年フランスで獄死した。…

※「トゥサンルベルチュール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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