トルベッケ(英語表記)Johan Rudolf Thorbecke

改訂新版 世界大百科事典 「トルベッケ」の意味・わかりやすい解説

トルベッケ
Johan Rudolf Thorbecke
生没年:1798-1872

オランダの政治家。ズウォレ生れ。アムステルダムライデンで古典学を修めて学位を得,1820-24年ドイツに留学して歴史と哲学を研究し,ロマン主義と歴史法学の影響を受けた。ベルギーのヘント大学で政治,外交史などを講じたが,30年ベルギー独立により同大学を退き,翌年ライデン大学法学部教授となる。30年代末に保守主義者からしだいに急進的自由主義者へと変貌し,39年《憲法論》を発表してオランダ国王ウィレム1世の専制的統治を批判し,憲法改正を訴えた。44年下院議員となり,同志とともに憲法改正案を議会に提出したが否決される。45年以降の自由主義の高揚とフランス二月革命の波及を恐れるウィレム2世が48年に設けた憲法改正委員会の議長に任命された。同年改正案はわずかな修正を受けたのみで承認され,立憲君主制,責任内閣制が実現した。全盛時代の自由党を率い,3次にわたって内閣を組織し(1849-53,1862-66,1871-72),選挙法,州法,自治体法など多数の法を制定して自由主義国家の実現に大きな功績を残した。
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367日誕生日大事典 「トルベッケ」の解説

トルベッケ

生年月日:1798年1月14日
オランダの法学者,政治家
1872年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のトルベッケの言及

【オランダ】より

ベルギー[歴史]
[憲法改正と産業革命]
 1840年代に入ると停滞と無気力の支配するオランダにも,イギリス,フランスなど先進国の影響を受けた知識人と未熟ながら東部のトウェンテ地方やアルンヘム近辺,北ブラバント州などに芽生えた産業資本家層によって自由主義運動が展開された。トルベッケを先頭とする自由主義運動は48年の憲法改正に結実し,この改正によって教育・結社・集会・出版・信仰の自由,責任内閣制,単年度予算制,一定額以上の納税者による議員の直接選挙などが実現し,オランダは近代的な立憲君主国家へと脱皮する。憲法の自由主義的改正後,自由派(自由党)はほぼ40年間にわたってオランダの政治・経済を支配した。…

※「トルベッケ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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