トーニー(英語表記)Roger Brooke Taney

改訂新版 世界大百科事典 「トーニー」の意味・わかりやすい解説

トーニー
Roger Brooke Taney
生没年:1777-1864

アメリカ合衆国最高裁判所の第4代首席裁判官。在任1836-64年。メリーランド州生れ。最高裁に入る前は,A.ジャクソンの忠実な支持者であり,ジャクソン大統領の下で法務総裁(1831-33),財務長官(1833-34)を務め,ジャクソンが連邦銀行設立の根拠法の有効期間を延長する法案を拒否したときにも,大統領の教書の執筆にあたっている。1835年に合衆国最高裁判所の陪席裁判官に指名されたときには,彼の政治的立場に対する反対から,上院が承認を拒否しており,36年に首席裁判官に指名されたときにも,激論の末かろうじて承認が与えられている。最高裁に入ってからは,前任者J.マーシャルの時代の判例の線に急激な変化を与えることを避けながら,マーシャルの時代における既得権保護,連邦政府の権限の強化の行過ぎを是正していった。また,黒人奴隷の合衆国憲法上の地位を争ったドレッド・スコット事件(1857)で彼が示した判決は,公正であるべき最高裁が南部に荷担したとの印象を,北部の多くの人々に与えた。
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トーニー
Richard Henry Tawney
生没年:1880-1962

イギリス歴史家,社会思想家,労働運動家。オックスフォード大学に学ぶ。1903年卒業と同時にロンドンの救貧事業施設トインビー・ホールに入所。06年労働党入党,同時に設立された労働者教育協会員として成人教育に献身。この間,近代イギリスを見直した《16世紀の農業問題》(1912)を執筆,著名な歴史的社会評論《収利の社会》(1921),《宗教資本主義興隆》(1926),《平等》(1931)などの想を得る。14年第1次世界大戦に従軍,重傷を負うが,戦後は労働党の文教・労働政策などに関与,また国際連盟の委嘱を受けて中国を視察,《中国の土地と労働》(1932)を著す。27年経済史学会を創設,またアイリーン・パワーとの共編《チューダー朝経済史料》全3巻(1924)で経済史研究の発展を促した。31-46年ロンドン・スクール・オブ・エコノミックス教授。《ジェームズ1世治下の家業と政策》(1958)が最後の著書となった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「トーニー」の意味・わかりやすい解説

トーニー
Taney, Roger Brooke

[生]1777.3.17. メリーランド,カルバート
[没]1864.10.12. ワシントンD.C.
アメリカの政治家,法律家。初めメリーランド州下院で連邦派として活躍したあと,A.ジャクソン派上院議員となり,1831年ジャクソン大統領の司法長官,33年財務長官に就任。「第二合衆国銀行」問題でジャクソン大統領を助けて活躍。 36年 J.マーシャルを継いで第5代の連邦最高裁判所長官となった。マーシャルの連邦政府の権限の拡大を目指す傾向とは逆に,州政府の権限を重視,また 37年の「チャールズ橋事件」では公共の利益に反する会社の権限を押えた。拡大する合衆国西部での奴隷制を問題とした 57年の「ドレッド・スコット判決」では「ミズーリ妥協」と「1850年の妥協」を無効とし,南部に有利で,黒人を市民として認めない内容の判決を下し,南北の対立の激化を招き南北戦争の重要な原因の一つをつくった。

トーニー
Tawney, Richard Henry

[生]1880.11.30. カルカッタ
[没]1962.1.16. ロンドン
イギリスの経済史家,社会思想家。キリスト教的な社会主義の立場から労働問題の研究,労働者教育に尽力。 1906年労働党に入党。 05~32年労働者教育協会 WEAを指導。 31~49年ロンドン大学経済史教授。経済史家としては,現代イギリスの農業問題への関心から発し,チューダー朝時代の農業土地問題を中心とする経済史研究を通じて資本主義社会への批判を行なった。主著『16世紀の土地問題』 The Agrarian Problem in the 16th Century (1912) ,『宗教と資本主義の勃興』 Religion and the Rise of Capitalism (26) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「トーニー」の意味・わかりやすい解説

トーニー
とーにー
Richard Henry Tawney
(1880―1962)

イギリスの歴史家。インドのカルカッタ(現コルカタ)に生まれる。オックスフォード大学卒業。1906年労働党に入党、労働者教育に携わり社会保障、教育問題などで労働党の政策づくりに寄与した。31年から49年までロンドン大学経済史教授。処女作『16世紀の農業問題』The Agrarian Problem in the Sixteenth Century(1912)はヨーマン層の形成と分解を論じた不朽の名著で、イギリス16、17世紀は「トーニーの世紀」とさえいわれる。ほかにイギリス経済史史料集の編集、『宗教と資本主義の興隆』Religion and the Rise of Capitalism(1926)など多数の業績を残した。

[浜林正夫]

『浜林正夫訳『ジェントリの勃興』(1957・未来社)』『浜林正夫・森本義輝訳『ある歴史家の時代批判』(1975・未来社)』

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百科事典マイペディア 「トーニー」の意味・わかりやすい解説

トーニー

英国の経済史家。ロンドン大学教授(1931年―1949年)。英国中世の農民層分解の研究や,資本主義精神の起源を実証的に究明した《宗教と資本主義の興隆》で著名。フェビアン社会主義の労働党員として労働者教育,産業国有化等に尽力。
→関連項目トレバー=ローパーパウア

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世界大百科事典(旧版)内のトーニーの言及

【ダートマス大学事件】より

…本件は,このいわゆる〈契約条項contract clause〉を基礎に,法人形態による企業がいったん設立された後は,州議会の干渉を受けないとする原理を述べた代表的判例である。もっとも,次の首席裁判官R.B.トーニー(在職1836‐64)の時期の最高裁判所は,この原理の適用を制限していくことになる。【田中 英夫】。…

【ジェントルマン】より

… ジェントリーの勃興については,学説上二つの対立する主張がある。一つは,宗教改革からピューリタン革命に至る1世紀間には,おりからのインフレによって,伝統的な固定地代を徴収する貴族が没落したのに対し,競争地代を徴収し,毛織物その他のマニュファクチュア経営,石炭業などをも展開した資本家的なジェントリーが急速に勃興したというR.H.トーニーの主張である。これに対して,そのような事実は存在せず,貴族であれ,ジェントリーであれ,宮廷内に官職を確保しえた一族つまり〈宮廷派〉は勃興し,それができなかった一族〈カントリー派〉は没落を余儀なくされたとするH.R.トレバー・ローパーの学説が対立,〈ジェントリー論争〉の名を与えられている。…

【福祉政策】より

…歴史的には20世紀の初めまでに政治的権利の平等が達成され,20世紀になって,経済的,社会的権利の平等が課題となった。1931年に書かれたR.H.トーニーの《平等Equality》は,道徳観に立脚した平等論というべきだが,最近の理論的な公正論として,J.ロールズの《公正の理論The Theory of Justice》がある。第2に,社会的ニーズと資源の関係の議論が続いている。…

※「トーニー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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