ドラコン(英語表記)Drakōn

精選版 日本国語大辞典 「ドラコン」の意味・読み・例文・類語

ドラコン

(Drakon) 紀元前七世紀後半のギリシアアテナイ立法者。前六二一年アテナイの慣習法成文化したと伝えられる。生没年未詳。

ドラ‐コン

〘名〙 「ドライビングコンテスト」の略。

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デジタル大辞泉 「ドラコン」の意味・読み・例文・類語

ドラ‐コン

《driving contestの略》ゴルフで、指定されたホールで第1打の飛距離を競うもの。

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改訂新版 世界大百科事典 「ドラコン」の意味・わかりやすい解説

ドラコン
Drakōn

古代アテナイの立法家。生没年不詳。前624年または前621年アテナイの慣習法をはじめて成文化した。これは貴族政末期,平民の台頭を背景として,その要求に一部こたえるものとして制定されたもので,ソロンのノモイnomoi(法)と区別してテスモイthesmoi(掟)とよばれる。彼の掟は刑罰の苛酷さをもって有名で,前4世紀の弁論家デマデスによって〈血で書かれた〉と評されたほどである。そのため彼の掟はソロンによって殺人に関するもの以外は廃止されたのでわからないが,殺人に関する掟は前409年または前408年再公布された掟の碑文によって一部判明した。それによると,殺人は故意の殺人と無意の殺人(すなわち過失致死)が区別されていたと推定され,無意の殺人の場合は,裁判はポリス共同体の役人の仕事とされ,告発は被害者の一定範囲の近親者や彼の属したフラトリア(兄弟団または胞族)だけが行うことができると規定されている。おそらくこれは,〈血の復讐〉に基づく貴族の〈仇討〉を廃止するという含みがあったものと思われる。それはキュロンの陰謀とアルクメオニダイによるキュロン一味の殺戮(さつりく)とが,とどまるところを知らぬ流血をひきおこしたと思われるからである。ドラコンの掟は回転柱に記されて〈王の列柱館〉に立てられたと伝えられる。掟がアゴラに公示されたということは,貴族が自己の利益に合わせて慣習法を解釈・適用するという旧制度を廃棄したことを意味し,平民の権利伸張の一段階を画するものであった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ドラコン」の意味・わかりやすい解説

ドラコン
どらこん
Drakon

生没年不詳。紀元前7世紀後半のアテネの立法者。前632/631年のキロンによる僭主(せんしゅ)政樹立の失敗ののちに、前621/620(または前624/623)年、特別の任命により、それまでの法慣行を基礎とするアテネ最初の成文法を制定、公開した。裁判権を独占する貴族の解釈にゆだねられていた法を、平民をも含む市民全員のものとして明文化し、貴族による恣意(しい)的な裁判運営に歯止めを設けたものと評価されている。その特徴としては、刑罰の過酷さのみが伝えられており、殺人の法を除いて、すべての法は前6世紀の初めにソロンによって廃止された。殺人の法については、前4世紀に至るまで有効な法として受け継がれた。

[前沢伸行]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ドラコン」の意味・わかりやすい解説

ドラコン
Drakōn

前7世紀のギリシア,アテネの伝説的立法家。前 621年従来の慣習法に基づいてアテネで最初の成文法を制定したといわれる。私的復讐に代って,犯罪を公的裁きにかけることを眼目とし,「血で書かれた」といわれるほど,はなはだ峻烈なもので,些細な罪にも死刑が科せられた。殺人罪の部分を除いてはのちにすべてソロンによって廃止されたが,殺人罪条項は前 409/8年碑文として記録され,演説でも言及されている。なおアリストテレスの『アテネ人の国制』4章においてドラコンの法とされているものは,後代の捏造とされている。

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百科事典マイペディア 「ドラコン」の意味・わかりやすい解説

ドラコン

アテナイの立法家。生没年不詳。前624年または前621年に訴訟手続,刑罰に関するアテナイの慣習法を初めて成文化。刑罰は苛酷で,その法は〈血で書かれた〉といわれた。のち大部分はソロンによって廃止された。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ドラコン」の解説

ドラコン
Drakon

前7世紀

アテネの人。ロクロイのザレウコス,カタナのカロンダスと並び称される初期ギリシアの立法家。前621年,私法,刑法に関するアテネの慣習法を集成し,これに改正を施して公布したと伝えられる。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ドラコン」の解説

ドラコン
Drakon

生没年不詳
古代ギリシアのアテネの立法者
前621年ごろ,初めて従来の慣習法を成文化した。この法律は,血で書かれたといわれるほど厳しかったが,私的な復讐を禁じるなど,ポリスの公権力の役割を重んじるものであった。

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世界大百科事典(旧版)内のドラコンの言及

【アテネ】より

…しかしこの頃すでにアテナイでも確立されていた重装歩兵制では,平民の働きに依存するところが大きかったので,貴族たちも平民の政治的要求にしだいに応じざるをえなくなった。その第一段階をなすのが前624年のドラコンの立法で,この法はそれまでの慣習法を集成し,明文化することによって,貴族による法の恣意的解釈に歯止めをかける効果をもたらした。 アテナイ民主政の成立にとり,より大きな画期をなしたのは,前594年のソロンの改革である。…

※「ドラコン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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