ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ドルゴン(多爾袞)」の意味・わかりやすい解説
ドルゴン(多爾袞)
ドルゴン
Dorgon
[没]順治7(1650).12.9.
中国,清朝初期の皇族。太祖ヌルハチ (奴児哈赤)の第 14子で,母はウラの満泰の娘でアバガイ (阿巴亥) 。天聡2 (1628) 年に墨爾根代青の号を賜わり,固山貝子についたのを初めとして,太宗ホンタイジ (皇太極)のもとで各地の平定戦争に従事し,同 10年に睿親王に封じられた。太宗の没後に幼少の順治帝が即位したが,鄭親王ジルガランとともに摂政の地位である輔政王となり,やがて鄭親王を押えて独裁権をふるった。順治1 (44) 年に奉命大将軍として明の征討に出発したが,明は李自成の乱で滅亡したため北京に侵入し李自成を駆逐し,都を瀋陽から北京に移して明の残存勢力を討滅した。一方では漢人官僚を支配しながら,政治的,行政的な面で諸制度を整備するなど清朝の基礎確立に手腕をふるった。のちに「皇父摂政王」に封じられ,事実上の皇帝として君臨したが,同7年に内モンゴルのハラ・ホトンに狩猟に行き病没した。没後に義皇帝成宗と追尊されたが,順治帝が親政するとドルゴンに帝位簒奪の意があったと同8年に追尊をやめ,爵位を奪い,宗室の籍からも削除した。のち乾隆 43 (1778) 年にその名誉が復活された。
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