ド・バロア(英語表記)De Valois, Dame Ninette

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ド・バロア」の意味・わかりやすい解説

ド・バロア
De Valois, Dame Ninette

[生]1898.6.6. ウィックロー,ブレッシングトン
[没]2001.3.8. ロンドン
アイルランド生れのイギリスの舞踊家,振付師。ロイヤル・バレエ団の創立者。本名 Edris Stannus。 E.チェケッティらに師事し,1914年ロンドンでデビュー。コベントガーデンバレエ・リュスなどで踊り,26年バレエ学校を開設した。 L.ベーリスや W.B.イェーツらと合作をし,また自身の振付で 28年『つまらぬ事』をはじめ『放蕩者の堕落』 (1935) ,『チェックメイト』 (37) ,『オルフェウスとエウリディーチェ』 (41) などを作った。 31年サドラーズ・ウェルズ劇場に新たに公設のバレエ学校を開き,バレエ団を組織。それは,やがてサドラーズ・ウェルズ・バレエ団,そしてロイヤル・バレエ団となった。イギリスのバレエ界に残した功績は大きく,63年ロイヤル・バレエ団の監督引退後も,終身の名誉職 Life Governorにつき後進の指導にあたった。 50年レジオン・ドヌール勲章を受けたほか,多くの大学から名誉博士号を贈られた。著書『バレエへの招待』 Invitation to the Ballet (37) ,『私と踊ろう』 Come Dance with Me (57) 。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ド・バロア」の意味・わかりやすい解説

ド・バロア
どばろあ
Dame Ninette De Valois
(1898―2001)

イギリスのバレリーナ、舞踊教師、振付師。本名はEdris Stannus。アイルランド生まれ。チェケッティらに師事、1914年にロンドンでデビューした。コベント・ガーデン王立歌劇場を経て、23~25年ディアギレフ・ロシア・バレエ団のメンバーになり、『カルナバル』『牝鹿(めじか)』などを踊った。1926年ロンドンにバレエ学校を開き、30年にカマルゴ協会を創設。31年ビッグ・ウェルズ(後のサドラーズ・ウェルズ、現在のロイヤル)・バレエ団を組織し、長くその芸術監督を務め、後れていたイギリスのバレエを再生させた功績は大きく、63年ロイヤル・バレエ団の監督引退後、生涯理事の名誉職につき、後進の指導にあたった。50年レジオン・ドヌール勲章受章、51年デームの称号を受ける。『チェックメイト』『放蕩児(ほうとうじ)の遍歴』などの振付け作品がある。著書に『バレエへの招待』(1937)などがある。

[國吉和子]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「ド・バロア」の意味・わかりやすい解説

ド・バロア

英国の女性舞踊家,振付家。アイルランド生れ。ロンドンでチェケッティらにバレエを学ぶ。1923年―1926年ディアギレフの〈バレエ・リュッス〉に参加。1931年ビック・ウェルズ・バレエ団(のちのローヤル・バレエ団)を設立,1963年に引退するまでディレクターを務め,バレエ後進国であった英国のバレエの発展に力を尽くし,多くの後継者を育てた。振付作品に,《ヨブ記》(1931年),《チェックメート》(1937年),《ドン・キホーテ》(1950年)などがある。→アシュトン

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

今日のキーワード

青天の霹靂

《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...

青天の霹靂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android