ドーフィネ(英語表記)Dauphiné

改訂新版 世界大百科事典 「ドーフィネ」の意味・わかりやすい解説

ドーフィネ
Dauphiné

フランス南東部の旧州名。リヨンの南東部に位置し,現在のイゼール,オート・ザルプ,ドローム県の大部分とアン県の一部の範囲に相当する。中心都市はグルノーブル

北と西側はローヌ川によって画され,南側はデュランス川,東側はモリエンヌ地方とイタリアに接する。北部はアルプス地方でも湿潤な地域であり,南に下るにしたがって地中海式気候の影響を受けて乾燥した気候になる。この地方を東西方向に見ると,東部は山の多い地帯であり,フランス・アルプスの中央部に位置し,別名ドーフィネ・アルプスとも呼ばれている。西に向かうにつれて台地,丘陵地や平地となり,このプレ・アルプス地方はバ・ドーフィネと呼称されている。この地方の骨格を形づくるアルプス山系は,南北の方向に帯状に平行する。東側からブリアンソネ,ケラスそしてアンブルネ山系があり,片岩質の岩石からなって,険しい山地群を形成している。それらの西側に位置する中央部の結晶岩質地帯は,ベルドンヌ山塊とオアザン盆地からなり,この部分はドーフィネ地方の中でも最も標高の高い地帯で,メージュ山(3987m)やエクラン山壁(4102m)が連なる。ドラック川とイゼール川が発するプレ・アルプスやアルプス・シヨン地方は,ドーフィネの西部と南部を占めている。プレ・アルプス地方は大規模な石灰岩からなる起伏に富んだ台地を形成し,数多くの狭い谷によって刻まれている。北から南の方向にかけて,グランド・シャルトルーズ,ベルコール,ディオア,デボリュ,バロニエ山塊が続く。アルプス・シヨン地方は,サボア地方のアルベールビルからイゼール川に沿ってグルノーブルに達し,さらにドラック川に沿って南下するくぼ地につけられた地方名である。水力発電と豊富な水の存在によって工業化が進んでおり,アルプス地方に入り込むための重要な交通路をなしている。バ・ドーフィネ地方はアルプスの山麓地方に相当する。北部は,湿潤な土壌におおわれた丘陵地であり,とくにブールブル川の河谷は低湿であって,牧草栽培に利用されている。現在,酪農地域が広がり,乳製品は近くのリヨン大都市圏に出荷できるという有利性をもっている。

ドーフィネ地方の経済的基盤は,かつては農牧業に依存していた。しかし,他地方の農牧業の商品化が進むに伴って,当地方の大半が大市場から遠隔地にあることにより,農牧業は停滞ぎみとなった。しだいに河谷部に下る人口移動が顕著になるに及んで,山岳部での過疎化が進行した。山間部に水力発電所が建設されるようになって,そのエネルギーを基にして河谷部で電力消費型の電気化学・金属製紙工業が立地した。工業化の中心都市はグルノーブルであり,その他の中小都市においても各種の工業が立地した。この地方でのアルピニズムの流行は,19世紀中ごろからすでに現れていたが,冬季スポーツや,夏の登山の観光が本格化したのは,生活水準が高まり観光が一般化した1960年以降であった。冬季オリンピックが68年にグルノーブルで,92年にはアルベールビルで開催されたことによって,冬季の観光がより脚光を浴びるようになり,夏季の観光と組み合わさって一大観光地帯が形成された。バ・ドーフィネ地方は山岳部と異なって気候も温暖で土壌も肥沃である。しかも交通も容易であることから,古くから生産活動の盛んな都市を立地させてきた。たとえば,当地方に隣接しているリヨンをはじめ,ビエンヌ,ロマン・シュル・イゼール,バランスなどがその主要都市である。河谷部では,灌漑施設の発達によって野菜・果物栽培に専門化した農業地帯が,主としてリヨン地方とバランス平野に展開する。当地方の伝統産業は,ロマン・シュル・イゼールでの製靴,ビエンヌの繊維工業,ボアロンの醸造業と製紙業など多様である。

ドーフィネ地方は,山岳部と平野部の接する部分にあるアルプスの出入口に位置することから歴史的に重要な舞台となった。しかし,ドーフィネ地方が歴史に登場したのはかなり新しい時代であった。11世紀からビエンヌ伯領となり,イルカ(フランス語でドーファンdauphin)を紋章としたため伯爵はドーファンと呼ばれ,その領地にドーフィネという名前が付されたのは13世紀であった。1349年,アンベール2世はこの地をバロア家のフィリップ6世に譲り,以後フランス王太子領として受け継がれた。

 また,シャルトルーズ山塊の真っただ中にあるグランド・シャルトルーズはシャルトルーズ修道会(カルトゥジア会)の本山である。隠者的な性格の濃い修道士たちは,現在でも12世紀にできた戒律に従い,孤独で厳しい修行,学問研究,労働に明け暮れている。その労働の中から生まれたのが有名なリキュール〈シャルトルーズ〉である。20世紀前半になって,ここから西約16kmにあるボアロンでもシャルトルーズ製造が開始され,日本にも輸入されるようになったが,その製法は秘密にされている。
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百科事典マイペディア 「ドーフィネ」の意味・わかりやすい解説

ドーフィネ

フランス南東部の旧州名。グランド・シャルトルーズ山地とデュランス川に挟まれ,山がちのオー・ドーフィネ地方と,イゼールとローヌの両流に挟まれた平野部のバ・ドーフィネ地方から成る。中心都市はグルノーブル。アルプスへの交通路として歴史的に重要。平野部では酪農,くるみなどの果実栽培が盛ん。山地地帯は水力発電を利用し,金属・電機・電子などの工業が行われ,観光地でもある。グランド・シャルトルーズ山中でシャルトルーズ修道会の修道士がつくるリキュール(シャルトルーズ)は有名。この地を支配した伯爵がその紋章からドーファンDauphin(イルカ)と呼称(12世紀)され,13世紀からその領地はドーフィネと名付けられた。1349年からフランス王領となったが,ルイ11世の時代まで自治権を保持。18―19世紀に経済的に繁栄,ブルジョアジーが台頭した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ドーフィネ」の意味・わかりやすい解説

ドーフィネ
Dauphiné

フランス南東部のローヌ川からイタリア国境に及ぶ地方。旧州名。イゼール,ドローム,オートザルプ3県から成る。一般に山岳部の高ドーフィネと,ローヌ川,イゼール川間の低ドーフィネに分けられる。高ドーフィネの主産業は観光と牧畜,低ドーフィネでは穀類,タバコなどの栽培と乳牛飼育,繊維工業などが行われている。おもな都市はグルノーブル,バランス,ビエンヌ。9~10世紀を通じてプロバンス王国およびアルルの諸王国に属し,名目上は神聖ローマ帝国の一部となっていたが,1349年フランス王フィリップ6世に売却され,78年以降,神聖ローマ帝国の宗主権は正式に否認され,以後歴代フランス王の長子の所領地となった。ルイ 11世以後はこの制度も廃止され,グルノーブル議会の管轄下の一州となった。

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