ナボニドス(英語表記)Nabonidos

改訂新版 世界大百科事典 「ナボニドス」の意味・わかりやすい解説

ナボニドス
Nabonidos

新バビロニア最後の王。在位,前555-前539年。正確にはナブー・ナイドNabū-naid。先々王ネリグリシャルの死後に起こった一連の王位継承争いを経て王位に就いた。彼は前585年ネブカドネザル2世がメディアとリュディアの国境紛争を調停した際,同王の大使役を務めた高官であったが,母はハランの月神の女大祭司アダドグピで,もともとアッシリア王族の一員であったと思われるし,父ナブー・バラッスイクビもシリア出身の貴族であった。ナボニドスは謎の多い王だが,第1は,治世第4年ころから第13年ころまで約10年間にわたり首都バビロンを留守にし,アラビア砂漠のオアシス都市テイマに滞在したことである。この間バビロンでの政治は皇太子ベルシャザルにゆだねていた。またこの間バビロンの新年祭は行われないままになっていた。第2は,バビロンの主神マルドゥクの祭儀をうとんじ月神シンの祭儀に熱中したことである。月神信仰への傾倒はテイマからバビロンに帰還した後とくに著しくなった。彼の母がかつて仕えたハランの月神殿エフルフルの再建(これはメディア人により破壊されていた)と,50余年にわたりバビロンに仮滞在していた月神をはじめとする神々の像のハランへの送還なども彼の信仰と関連する。しかしこの特異な宗教的立場は,バビロンのマルドゥク神官団の強い反対を引き起こし,神官団が隣国ペルシアのキュロス2世をバビロンの解放者また王として迎え入れたことにより,新バビロニアはその歴史の幕を閉じた。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ナボニドス」の解説

ナボニドス
Nabû-na'id[アッカド],Nabonidus[英]

(在位前556~前539)

新バビロニア王国最後の王。先王ラバシ・マルドゥク暗殺後の混乱を受けて即位。首都バビロン息子に委ね,北西アラビアのテイマに宮廷を築いて10年間にわたり滞在した。バビロニアの宗教的伝統に反して月神シンの信仰に著しく傾斜したためバビロンの神官団の支持を失い,アケメネス朝キュロス2世によるバビロン陥落を許した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ナボニドス」の意味・わかりやすい解説

ナボニドス
Nabonidos

新バビロニア帝国最後の王 (在位前 556~539) 。バビロニア名ナブ=ナイド。月神シンを崇拝したためマルドゥクの神官の圧迫を受けた。シリア遠征中病を得,息子ベルシャザルに治世をゆだねてアラビアにこもった。前 539年バビロンに戻ったが,アケメネス朝ペルシアのキュロス2世により,同地は陥落し,彼はカルマニアへ追放され,帝国は滅亡した。

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世界大百科事典(旧版)内のナボニドスの言及

【新バビロニア】より

…この新しいバビロンの偉容は後のギリシアの旅行家や歴史家の驚嘆の的となった。その後アメルマルドゥク(在位,前561‐前560),ネリグリシャル(在位,前559‐前556),ラバシマルドゥク(在位,前556)と6年間に3度も王の交代があった後,王朝最後の王ナボニドスの時代になる。ナボニドスは宗教・経済両面からバビロンを立て直そうと試みるが,結局ペルシア王キュロス2世によって王位を奪われてしまった。…

【バビロニア】より

…この新バビロニア帝国は,王朝創設者ナボポラッサル(前625‐前605)の後を受けたネブカドネザル2世(前604‐前562)の時に全盛期を迎えて繁栄する。その後6年間に3度も王の交代を経験した後,同王朝最後の王ナボニドス(前555‐前539)の時代になる。彼は不振の王国を建て直そうとするが,10年にわたるテイマ滞在や月神重視政策がマルドゥク神官団の反感を買い,彼らによって解放者として迎え入れられた新興アケメネス朝ペルシアの王キュロス2世により王位を奪われてしまった。…

※「ナボニドス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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