ナライ(英語表記)Narai

改訂新版 世界大百科事典 「ナライ」の意味・わかりやすい解説

ナライ
Narai
生没年:?-1688

タイ,アユタヤ朝のプラーサートーン王家第4代の王(在位1657-88)。ナライはビシュヌ神の別名(ナーラーヤナ)で,王の一身にまつわる超人伝説による命名という。父王プラーサートーンを継いで即位した兄を叔父と謀って除くと,さらにその叔父をも殺してみずから王位についた。華僑商人を使って盛んに海外貿易を行い王庫を富ませた。鎖国時代の長崎にも,唐人の運航するナライ王の貿易船が,〈暹羅(せんら)屋形仕出船〉として来航した記録がみえている。またベンガル湾への出入口にあたるメルギー,テナッセリムなどには,インド人やペルシア人を太守に起用して貿易の振興を図った。アユタヤにはイギリス人やオランダ人の商人が居住して貿易活動に従事したが,ナライ王は軍事力を背景に貿易の独占を図ろうとするオランダ東インド会社の勢力に対抗するため,たまたま来訪したカトリック宣教師を厚遇して,ルイ14世治下のフランスに接近を図り,ベルサイユ宮廷と使節の交換を行った。王の32年にわたる治世の下,文芸はおおいに栄え,プラマハー・ラーチャクルーやその子の天才詩人シープラートらを生んだ。ナライ王自身も詩作の人として知られる。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のナライの言及

【タイ】より

…〈官買〉制度,〈唐船〉委託貿易,ベンガル湾貿易のためのインド人・ペルシア人官吏の登用など積極的な貿易振興策によってもたらされた利潤は王庫の繁栄に貢献した。ナライ王(在位1656‐88)はベルサイユ宮廷へ使節を派遣した王として知られている。アユタヤ朝は,バーンプルールアン王家のボロマコート王(在位1733‐58)の治世下に学芸がおおいに栄え,仏教使節をセイロンへ派遣して衰微した首都キャンディに戒壇を復興させるなど,仏教国アユタヤの名声は海外にも響いたが,王の死後,後継者を得ず,1767年ビルマの侵攻を受けて滅亡し,アユタヤは416年の歴史の幕を閉じた。…

※「ナライ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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