ニッティ(英語表記)Francesco Saverio Nitti

改訂新版 世界大百科事典 「ニッティ」の意味・わかりやすい解説

ニッティ
Francesco Saverio Nitti
生没年:1868-1953

イタリア政治家,経済学者。1892年から母校のナポリ大学で教鞭をとり,98年には財政学の教授となる。1894年《リフォルマ・ソチャーレ》誌を創刊。南部の後進性の克服法として,工業の振興および課税の地域的不均等の是正を説いた。1904年国会議員となり,2年後南部農民の実態に関する議会の調査委員会では指導的役割を果たす。農工商務大臣(1911-14),大蔵大臣(1917-19)を経て,第1次大戦後の19年6月から20年6月に至るまで3回にわたって組閣を行った。しかし,ストライキ高揚ダンヌンツィオによるフィウメ占領事件,ファシスト台頭といった諸問題を抱え政情はきわめて不安定であった。

 ムッソリーニが政権をとると,24年にスイスに逃れて,翌年パリに移ってファシズム非難の著作を発表するが,43年ナチスに捕らえられた。第2次大戦後政界に復帰,48年には上院議員になる。《北部と南部》(1900),《財政学原理》(1903),《平和なきヨーロッパ》(1921)など多くの著作があり,死後全集が出版された。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ニッティ」の意味・わかりやすい解説

ニッティ
Nitti, Francesco Saverio

[生]1868.7.19. メルフィ
[没]1953.2.20. ローマ
イタリアの経済学者,政治家。 1898~1923年ナポリ大学財政学教授で,南部問題についての著作が多い。 04年以来国会議員となり,各種大臣を歴任したあと,19~20年に首相となる。自由主義左派に位置して,第1次世界大戦後の困難な時期の経済復興に努め,またフューメに義勇隊を率いて1年以上支配し続けた G.ダンヌンツィオの違法問題をかかえるなかで,比例代表制に基づく選挙制を導入して政治の民主化に努めた。しかし社会主義勢力およびカトリック支持を得ることができず辞任。ファシズム政権に反対して亡命,第2次世界大戦後,イタリアに戻って上院議員となった。

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367日誕生日大事典 「ニッティ」の解説

ニッティ

生年月日:1868年7月19日
イタリアの経済学者,政治家
1953年没

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