ネーピア(英語表記)Napier, John

精選版 日本国語大辞典 「ネーピア」の意味・読み・例文・類語

ネーピア

[一] (William John Napier ウィリアム=ジョン━) イギリス海軍軍人外交官。初代中国貿易首席監督官としてイギリスの対中国貿易の保護促進につとめた。(一七八六━一八三四
[二] (John Napier ジョン━) イギリスの数学者。一六一四年対数を発明した。また、対数を応用した一種の計算器を発明、近代計算器の原型となった。(一五五〇‐一六一七

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デジタル大辞泉 「ネーピア」の意味・読み・例文・類語

ネーピア(Napier)

ニュージーランド北島東部の都市。ホーク湾に面する。ヘースティングズがある後背地は牧羊と果樹栽培が盛んで、木材・羊毛・食品・パルプ積出港がある。同国有数のワイン産地としても知られる。1931年の地震で大きな被害を受けたのち、当時流行のアールデコ様式で多くの建物が再建された。

ネーピア(John Napier)

[1550~1617]英国の数学者。対数を創始し、近代的計算機の原型となる計算機も発明した。著「驚くべき対数規則の記述」など。→ネーピア数

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ネーピア」の意味・わかりやすい解説

ネーピア
Napier, John

[生]1550. エディンバラ近郊マーキストン
[没]1617.4.4. エディンバラ近郊マーキストン
イギリスの数学者。 13歳でセントアンドルーズ大学へ入ったが,在学期間は短かったらしく,当時の習慣に従って外国旅行に出たようである。 1571年頃故郷に帰り,マーキストンかガートネスに住んだ。彼の最も重要な業績は自然対数 (ネーピアの対数) の発見である。この発見によって特に天文学の計算が容易になり,大きな影響を与えた。彼は対数の研究に 94年頃から取組み,1614年に公表した。ほぼ同じ頃スイスの数学者 J.ビュルギも対数を発見したが,発表した年が 20年であったため,発見の名誉はネーピアに与えられている。ほかに,計算尺の原型を発明したり,球面三角法にも業績を残している。熱烈な新教徒であった彼は,旧教に対抗してスコットランド教会史に残る書物 (『聖ヨハネの黙示録全体に関する明白な発見』) を著わしている (1594) 。主著に『驚くべき対数法則の記述』 (1614) ,『驚くべき対数法則の構造』 (19) などがある。

ネーピア
Napier, Sir Charles

[生]1786.3.6. スターリング,フォールカーク近郊
[没]1860.11.6. ハンプシャー,カサリントン近郊
イギリスの海軍軍人。 1799年海軍に入る。ナポレオン戦争中,地中海 (1811) ,アメリカ沿岸 (14) に転戦。ポルトガルの内乱に,ペドロ1世の率いる立憲君主派に招かれて艦隊司令官となり (33) ,簒奪者ドン・ミゲルの艦隊を破ったが,イギリス海軍から除名された。 1836年復帰し,シリア遠征 (40~44) の艦隊司令官となった。クリミア戦争にはバルト海艦隊司令官となり,ロシアの海軍基地クロンシタット攻撃を拒絶して問題となった。 55~60年自由党下院議員。 58年海軍大将。

ネーピア
Napier

ニュージーランド,ノース島中央東岸にある港湾都市。ヘースティングズと並びホーク湾地方の代表的都市。市街地はネーピアヒルとして知られる小さな岬の上に位置し,気候は温暖で保養地となっている。周辺では牧羊が盛んで,羊毛の代表的集散地。そのほか冷凍肉や酪農製品を産し,これらはおもにアメリカ合衆国に輸出される。良港をもち,大型船舶の接岸が可能。近くに製材,パルプ工場があり,漁業も行われる。人口5万 2700 (1990推計) 。

ネーピア
Napier, Sir William Francis Patrick

[生]1785.12.17. キルデア,セルブリッジ
[没]1860.2.10. サリー,クラパムパーク
イギリスの軍人,歴史家。 1800年陸軍に入隊し,08年スペインでの戦役に参加。そのときの経験をもとに資料を収集し,『イベリア半島戦争史』 History of the War in the Peninsula (6巻,1828~40) を執筆。 59年陸軍大将。

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改訂新版 世界大百科事典 「ネーピア」の意味・わかりやすい解説

ネーピア
John Napier
生没年:1550-1617

イギリスの数学者。対数の発見者として知られる。スコットランドの貴族で,政治や宗教問題に関与したが余暇に数学や自然科学を研究した。1614年に《驚くべき対数の法則の記述》を発表,0°より90°まで1分おきの角の正弦の対数の表を添え,対数が天文計算などに有用なことを示した。それに感激し示唆を受けたブリッグズHenry Briggs(1556?-1631)は常用対数表(1624)を作った。ネーピアには計算器具,兵器などの考案もある。
執筆者:

ネーピア
Napier

ニュージーランド北島の東岸,ホーク湾に面した都市。人口11万8404(2006)。ホーク・ベイ地方の中心都市で,近くのヘースティングズとともに連合都市として扱われることがある。羊毛,水産加工(缶詰),ブドウ酒などの工業が立地し,羊毛の集散地として知られる。近くに日本企業との合弁による製材・パルプ工場がある。港から羊毛など農産物を輸出する。1856年開かれたが,1931年に大地震で破壊され再建された。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「ネーピア」の意味・わかりやすい解説

ネーピア

英国の数学者。スコットランドの貴族で熱烈な新教徒。対数を考案し,0°〜90°の1分ごとの正弦の対数表をそえて1614年発表。のちブリッグスと協力して10を底とする常用対数表を作製。計算機械についても研究。
→関連項目ブリッグス

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世界大百科事典(旧版)内のネーピアの言及

【計算機械】より

…この方式はのちにアバクスやそろばんに発展し,現代にまで達している。イギリスが世界の海を支配し始めた17世紀初め,天文学や三角関数に基づいた航海術における計算需要を背景に,スコットランドの貴族J.ネーピアは対数計算を創始し,続いて1617年ころ〈ネーピアの計算棒〉と呼ばれる計算器具を発明した。これは,九九の表を分解記入した棒を並べて,乗除算を行うものであって,実用的に広く使われたという。…

【数学】より

…リジューの司教となったニコル・オレームNicole Oresmeが温度の変化をグラフに表したり,分数指数を導入したりしたのは,当時としては先端的な発想であった。対数が発見されたのは16世紀の中葉になってからイギリスのJ.ネーピアやブリッグスHenry Briggs(1556‐1631)によるもので,ブリッグスは後述するケプラーの計算にも協力した。 13世紀のイタリアには,ダンテらによってルネサンスの機運が興り,美術上のルネサンスは15~16世紀に最盛期を迎える。…

【対数】より

…ビュルギJobst Bürgi(1552‐1632)は1603‐11年の間に対数表を作り,20年にそれを刊行した。それとは無関係に,J.ネーピアも1617年に対数表を公表し,これが対数の初めといわれる。 ふつうの記数法は十進法によるので,実用上の計算には10を底とする対数を用いるのが便利である。…

※「ネーピア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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