ノイシュワンシュタイン城(読み)のいしゅわんしゅたいんじょう

世界大百科事典(旧版)内のノイシュワンシュタイン城の言及

【ドイツ美術】より

…ミュンヘンの絵画館アルテ・ピナコテーク(1826‐36)もクレンツェの設計になったもので,このほかザイドルGabriel von Seidl(1848‐1913)のバイエルン国立博物館(1896‐1900)やゼンパーのドレスデン国立絵画館(1846‐52)が知られる。また歴史的関心は中世にまでも及び,19世紀初頭のロマン主義思想の流れを引いてケルンやウルムの大聖堂が完成され,ノイシュワンシュタイン城(E.リーデル,1868‐86)やウィーンの奉献教会(H.vonフェルステル,1856‐79)のようなロマネスクやゴシックを模した中世様式建築も造営された。この歴史主義とたもとを分かって新しい方向を模索したユーゲントシュティールの運動から世紀末のゼツェッシオン(分離派)が興り,やがて20世紀最大の建築家の一人グロピウスが登場する。…

【バイエルン】より

…ドイツ南部の州(ラント)。英語ではババリアBavariaという。面積7万0547km2は最大。人口は1192万(1995)。
【地理】
 現在のバイエルンは州都ミュンヘンを中心とする古来のバイエルン地方(東南~東部)と,19世紀初頭バイエルンに帰属したフランケン(北部),シュワーベン(西南部)の両地方とから成る。オーストリア,チェコと境を接する。州の中央を西から東に流れるドナウ川の南は,アルプスに続く高原地帯,北は丘陵性の山地で,その北部を流れるマイン川は西方でライン川に合流する。…

【離宮】より

…古くは天皇の出遊のために宮都以外に設けられた宮殿をいう。外宮(とつみや)。〈りぐう〉ともよむ。行宮(あんぐう)が臨時の施設であるのに対し,恒久的施設である点が異なる。 史上著名な離宮に,古代の吉野宮珍努(ちぬ)宮の両離宮,中世の鳥羽離宮,近世の修学院(しゆがくいん)離宮などがある。吉野宮は《日本書紀》の応神紀に初めてみえ,壬申の乱前の大海人(おおあま)皇子(後の天武天皇)隠棲の地として,特に天武系皇統の行幸がしばしばあった。…

【ルートウィヒ[2世]】より

…71年,ビスマルクの才腕で新ドイツ帝国が成立しプロイセン王が皇位につくと,ますます現実から逃避し,自分の幻想を実現すべく莫大な費用を投じてバイエルン各地に城や離宮や劇場をつぎつぎに建造した。このうち,山のなかのノイシュワンシュタイン城,森のなかのリンダーホーフ宮,キーム湖に浮かぶヘレンキームゼー宮の三つはとくに有名で,ルートウィヒ2世はこれらの城館でしばしばワーグナーの音楽を演奏させたと伝えられる。 こうして,自分だけの世界に閉じこもって国情をかえりみなかったところから,しだいにプロイセン政府の圧力が加わり,側近の心も王から離れ,やがて王に対する禁治産宣告の声が高まってくる。…

【ロマンティッシェ・シュトラーセ】より

…ドイツ中南部の都市ビュルツブルクから南へ,オーストリアとの国境に近いフュッセンFüssenまでの約300kmの道路の呼称。〈ロマンティック街道〉を意味するが,呼称の起源は古いものではなく,この街道筋にそってローテンブルクネルトリンゲンをはじめ中世のたたずまいを残す小都市が連なっているため,第2次大戦後,観光客誘致のために開発された。フュッセンの近くには,バイエルン王ルートウィヒ2世の建造によるノイシュワンシュタインNeuschwanstein城がある。…

※「ノイシュワンシュタイン城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android