ハイドゥの乱(読み)はいどぅのらん

世界大百科事典(旧版)内のハイドゥの乱の言及

【キプチャク・ハーン国】より

…イスラムを初めて受容したベルケ・ハーンBerke Khān(在位1255‐66)は,商工業の中心地として,旧サライの北に新サライを建設し,外交的には,ザカフカスの領有をめぐって,1世紀にもおよぶイル・ハーン国との争いを開始する一方,エジプトのマムルーク朝とは友好関係を結んだ。次のマング・ティムールMangu Tīmūr(1266‐82)のとき,大ハーン位をめぐって,フビライとハイドゥの間で戦われたいわゆるハイドゥの乱(1266‐1304)に介入して,キプチャク・ハーン国は独立国家の地位をえ,14世紀前半のウズベクÖzbek(在位1312‐42),ジャーニーベクJānībek(在位1342‐57)父子のときに最盛期をむかえた。 ウズベク・ハーンはイスラムを国教とし,新サライを都と定めてモスクなどの建築物を造営し,商業・手工業を振興した。…

【ハイドゥ】より

…彼は生涯を通じて41回戦い,ほとんどいつも勝利を収めたといわれるほど勇猛だったが,仁慈な人柄のため信望を集めていた。ハイドゥの乱は皇位継承をめぐって亀裂の入っていたモンゴル帝国を,決定的に分裂させ,円滑な東西陸上交通を妨げるなど,帝国にとっては不幸な事件であったが,一方で元朝の積極的な対外活動はこれによって大いに妨げられ,第3次元寇が計画倒れになる一因ともなったのである。【吉田 順一】。…

※「ハイドゥの乱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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