ハル(英語表記)Hull

翻訳|Hull

精選版 日本国語大辞典 「ハル」の意味・読み・例文・類語

ハル

[一] (Clark Leonard Hull クラーク=レナード━) アメリカの心理学者。新行動主義の創始者の一人。学習理論を研究、行動の原理を数学的に体系化した。主著「行動の原理」。(一八八四‐一九五二
[二] (Cordell Hull コーデル━) アメリカの政治家。民主党。ルーズベルト政権の国務長官として、ニューディール外交推進に活躍、国際連合設立に尽力した。一九四五年ノーベル平和賞受賞。(一八七一‐一九五五

ハル

(Hull) 正称はキングストン‐アポン‐ハル。イギリス、イングランド北東部の港湾都市ハンバー川の河口近くの北岸にある貿易港で、北海漁業の根拠地。造船業なども発達している。

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デジタル大辞泉 「ハル」の意味・読み・例文・類語

ハル(Cordell Hull)

[1871~1955]米国の政治家。F=ルーズベルト大統領のもとで国務長官。太平洋戦争直前の対日交渉では、「ハル‐ノート」を最終提案として提出。参戦後は国際連合の設立準備に貢献し、1945年ノーベル平和賞受賞。

ハル(Hull)

英国イングランド中東部の河港都市。北海に注ぐハンバー川北岸にあり、遠洋漁業の根拠地。キングストン‐アポン‐ハル。
ガティノー

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改訂新版 世界大百科事典 「ハル」の意味・わかりやすい解説

ハル
Hull

イギリス,イングランド北東部,ハンバーサイド州中部(旧ヨークシャーのイースト・ライディング地区)にある港湾・工業都市で州都。正式にはキングストン・アポン・ハルKingston upon Hull(〈ハル河畔の王室荘園〉の意)と呼ぶ。人口24万7900(2003)。ハンバー川のエスチュアリー(三角江)にハル川が流入する地点に位置し,古くから北海のトロール漁業や捕鯨の基地として重要であったが,産業革命以後はヨークシャー工業地域を後背地とする貿易港として発展した。ハル自体も造船,油脂をはじめ,化学,精油,製材などの工業を有する。1160年ごろにはワイク・アポン・ハルという市場町であったが,エドワード1世が13世紀末に新しい都市を建設し,現地名に改めた。大規模な埠頭は18世紀後半から開設され,ハンバー川沿いに拡張されていった。市街はビクトリア女王広場からのびる放射状道路を中心に発達し,イングランド最大級の教区教会であるホーリー・トリニティ教会や,奴隷解放論者のW.ウィルバーフォースが学んだグラマー・スクール,1954年に総合大学となったハル大学などがある。
執筆者:

ハル (はる)

日本音楽の用語。〈張〉とも書く。音高が高くなることに関連して用いられるほか,音量の増大を意味する場合もある。まず謡(うたい)では,中音から上音に上行することをいう。ただし,謡本によっては〈ハル〉ではなく〈上〉と記すものがあり,〈ハル〉を用いる謡本でも,冒頭だけは〈上〉と書く。サシ上音から下行した中音が,普通の上音に上行するときは,とくに本バリと称する。また,クリ音や中音に移行せず,上音を中心に推移する旋律をハリ節と称する立場がある。

 三味線音楽では,音高がやや高めである,あるいは高めにすることをハルという。能楽囃子や歌舞伎・長唄囃子の鼓や太鼓でも,空気が乾燥して音が高くなった結果,深味のない音色として感じとられたときに,ハッているという。これらの楽器のハルはメルに対する。三味線音楽でも浄瑠璃には,それとは別にフシの名称としてのハルがある。その概念はかならずしも明確ではないが,三味線の第3弦の開放弦から始まるフシをしばしばハルというほか,ハルウ,ハルフシ,フシハルなどが区別されている。

 雅楽では,音高を高くすることをカルといい,ハルの語を音量の増加に対して用いている。
執筆者:

ハル
Cordell Hull
生没年:1871-1955

アメリカの政治家。テネシー州オーバートン生れ。1891年カンバーランド大学卒業と同時に弁護士の資格を取得。州議会議員を経て,1907年から連邦下院議員,31年からは連邦上院議員の職にあった。とくに税制問題に手腕を発揮し,1913年に所得税法を立案。33年F.D.ローズベルト大統領から国務長官に任命され,44年病気で辞任するまでその職を務めた。1933年から40年にかけてモンテビデオ,ハバナなどで開催された米州会議に臨み,ラテン・アメリカ諸国との善隣友好政策(善隣政策)を実施し,また関税引下げや互恵通商関係の確立に努力した。日本軍部のアジア侵略に厳しい態度を示したが,日米開戦直前には両国の衝突回避のため野村吉三郎大使と交渉を重ね,ハル・ノートと呼ばれる提案を行った。第2次大戦中は国際連合の実現に尽力し,44年のダンバートン・オークス会議などに出席。〈国際連合の父〉と呼ばれ,45年ノーベル平和賞を受賞した。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハル」の意味・わかりやすい解説

ハル
Hull, Cordell

[生]1871.10.2. テネシー,オーバートン
[没]1955.7.23. メリーランド,ベセズダ
アメリカ合衆国の政治家。1891年カンバーランド大学法学部卒業。1907~21年,1923~31年下院議員,1931年上院議員となった。1933年フランクリン・D.ルーズベルト大統領によって国務長官に任命され,ラテンアメリカとの関係改善に努力。1941年秋の日米交渉では中国の権利を強く擁護した。同 1941年11月26日いわゆる「ハル・ノート」を示したが,日本はこれを最後通牒とみなし,太平洋戦争開戦に踏み切った。1943年モスクワ外相会議に参加,国際連盟に代わる世界平和機構についての基本的原則を公表した四ヵ国宣言を推進し,その後も国際連合の創設に情熱を注いだ。ハルの理想主義は国連憲章にも反映されている。その活躍により,1945年ノーベル平和賞を受賞。

ハル
Hull

カナダ東部,ケベック州南西部,ガティノー南部の旧市域。1800年アメリカ合衆国マサチューセッツ州から移住した製材業者の居住地として開かれ,1875年市制施行。2002年隣接するエルメ,バッキンガム,マソン=アンジェの 3市とともにガティノーと合体した。オタワ川河畔,オンタリオ州オタワの対岸にあり,ケベック州南西部の行政,経済の中心地。地名はイギリスのキングストンアポンハルにちなむ。豊富な森林,水力資源を利用したパルプ,製紙,マッチ工場があり,ほかにセメント,衣料,食肉加工,家具,印刷工場なども立地。オタワ大都市圏の工業地帯をなす。

ハル
Hull, Clark L(eonard)

[生]1884.5.24. ニューヨーク近郊アクロン
[没]1952.5.10. コネティカット,ニューヘーブン
アメリカの心理学者。エール大学人間関係研究所教授。能力テスト,催眠などの研究を行なったのち,I.P.パブロフの条件反射に傾倒,それに基づきながらそれを発展させ,行動一般の体系化を目指し,新行動主義または行動理論の中心的学者として活躍した。主著『催眠と被暗示性』 Hypnosis and Suggestibility (1933) ,『行動の原理』 Principles of Behavior (43) ,『行動体系』A Behavior System (52) 。

ハル
Hull, William

[生]1753.6.24. コネティカット,ダービー
[没]1825.11.29. マサチューセッツ,ニュートン
アメリカの軍人。独立戦争のとき北部戦線で活躍。 1805~12年ミシガン准州総督。インディアンからの土地割譲に尽力。アメリカ=イギリス戦争 (1812) では陸軍准将としてミシガン防衛とカナダ侵入を命じられたが失敗,彼の軍はデトロイトに退いて降伏した (12.8.16.) 。このため軍事裁判で銃殺刑を宣告されたが,独立戦争中の功により刑は執行されなかった。

ハル
Hull, Isaac

[生]1773.3.9. コネティカット,ダービー
[没]1843.2.13. フィラデルフィア
アメリカの軍人。 19歳のとき船長となり,1798年海軍大尉に任じられた。フランスとの海戦やトリポリとの戦いで活躍。海軍大佐としてアメリカ=イギリス戦争に参加,1812年8月軍艦『コンスティチューション』号を指揮し,イギリス軍艦『ゲリエーア』号を沈没させ,アメリカ軍の士気を高めた。 23年准将。 24年以降太平洋艦隊,地中海艦隊の司令長官などをつとめた。

ハル

キングストンアポンハル」のページをご覧ください。

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百科事典マイペディア 「ハル」の意味・わかりやすい解説

ハル

米国の政治家。民主党に属し,下院・上院議員を経てF.ローズベルトの下で国務長官(1933年―1945年)。互恵通商を促進,第2次大戦中は連合国援助・日米交渉・国連創設に努力。1945年ノーベル平和賞。→ハル・ノート
→関連項目真珠湾攻撃野村吉三郎

ハル

正称はキングストン・アポン・ハル。英国,イングランド北東部,ハンバーサイド州の州都。ハンバー川河口の都市で,ヨークシャーの生産物の重要な移出港であり,北海漁業の根拠地でもある。工業には造船,皮革,製紙などがある。14世紀の二つの教会,大学(1927年創立),博物館,美術館などの文化施設も多い。25万6406人(2011)。
→関連項目ハンバー[川]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ハル」の解説

ハル
Cordell Hull

1871~1955

アメリカの政治家。民主党員。連邦下院・上院議員をへて,1933年F.D.ローズヴェルト政権の国務長官に就任。同年ロンドン世界経済会議のアメリカ代表,モンテビデオ汎米会議で内政干渉権を否認して中南米に対し善隣外交を推進,互恵通商協定の実現に努めた。第二次世界大戦に際し国際連合の設立に尽力,「国際連合の父」と呼ばれる。45年ノーベル平和賞受賞。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ハル」の解説

ハル Hull, Cordell

1871-1955 アメリカの政治家。
1871年10月2日生まれ。1933年国務長官となり,互恵通商政策を推進。日米開戦直前の対日交渉で「ハル-ノート」を提示し強硬方針をつらぬいた。第二次大戦中は国際連合の設立に指導的役割をはたした。1945年ノーベル平和賞。1955年7月23日死去。83歳。テネシー州オーバートン出身。カンバーランド大卒。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ハル」の解説

ハル
Cordell Hull

1871〜1955
アメリカの政治家
弁護士から上院議員をへて,F.ローズヴェルト新政府の国務長官となった(1933〜44)。互恵通商協定による健全な国際経済関係の樹立につとめ,ロンドン経済会議(1933),アメリカ州会議(1938),モスクワ外相会議(1943)などに活躍した。日米開戦直前に提案された「ハル−ノート」は有名。1945年にノーベル平和賞を受賞。

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世界大百科事典(旧版)内のハルの言及

【イギリス美術】より

…彼は40歳のとき,2度目のイタリア旅行でイタリア・ルネサンスの建築家A.パラディオの作品に感激し,イギリスにおけるパラディオ主義の最初の大建築家となった。18世紀前半に,イギリス有数のパトロンで同時に建築家でもあったバーリントン伯が出るに及んで,パラディオ風の古典様式はイギリスに完全に根を下ろした。1666年のロンドン大火は,ジョーンズの晩年に生まれたC.レンの才能を発揮するうえでの大きなチャンスとなり,このとき新築されたセント・ポール大聖堂は彼の代表作となった。…

【グランド・ツアー】より

…グランド・ツアーは,イギリスにおいて,パラディオ主義の流行を促し,また16~18世紀イタリア美術のコレクションの形成に寄与した。たとえば,第3代バーリントン伯爵は,1710年代のグランド・ツアーからの帰国後,建築家のパトロンとして,また自らも設計者としてパラディオ風建築の普及につとめたことが知られる。【鈴木 杜幾子】。…

【ケント】より

…イギリスの古典主義建築家,画家,家具デザイナー,造園家。ローマで絵画の修業中出会ったパラディオ主義者バーリントン伯に連れられ,1719年帰国,以後協同して室内装飾と建築設計を始める。対称と比例,重厚な装飾を追求した独自の作風をホーカム・ホール(ノーフォーク,1734着工)やホース・ガーズ(ロンドン,1758)で展開。…

【ジョージアン様式】より

…すなわち古代ローマ建築の構造を重視する簡素なパラディオ主義が復活し,その信奉者イニゴ・ジョーンズへの回帰が企てられた。バーリントン伯の庇護下にコリン・キャンベルは《ウィトルウィウス・ブリタニクス》(1715)第1巻を,W.ケントは《イニゴ・ジョーンズのデザイン》(1727)と銘打った室内デザイン図集を刊行し,これらはイギリスにおけるパラディオ主義の住宅様式の指針となった。しかしこの間,壮麗なイギリス・バロックの頂点ともいうべきブレニム宮殿が完成し,ここに,フランス風の幾何学的庭園術に対して自然の景観を生かしたイギリス式造園法が確立された(庭園)。…

【パラディオ主義】より

…なかでも,パラディオ没後ベネト地方の建築界に君臨したスカモッツィ,イギリス近世建築の祖イニゴ・ジョーンズらは有名。特殊な例として,1720‐60年ころにかけて,イギリスのバーリントン伯爵の企てた建築界全体のパラディオ化があり,この結果,有産階級がこぞってパラディオ風のカントリー・ハウスを建てた。新古典主義期以後,パラディオ主義はロシアや新大陸にも及び,アメリカ大統領ジェファソン(みずからバージニア大学を設計)のような例もみられる。…

※「ハル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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