ハンガリー文学(読み)ハンガリーぶんがく(英語表記)Hungarian literature

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハンガリー文学」の意味・わかりやすい解説

ハンガリー文学
ハンガリーぶんがく
Hungarian literature

ハンガリー語で書かれた文学作品の総称。ハンガリーに現存する最古の文献は,11世紀中頃以降のラテン語によるキリスト教関係のもので,まもなく現れたハンガリー語による文献も,ラテン語から翻訳された宗教的な性質のものが多い。ハンガリー語による現存する最古の記録は,短いが美しく独創的な葬送の辞である。文字によって書かれた文学と同時に,口承による民謡民話も存在したが,これらは初期の断片がごくわずかに残っているだけである。国語としてのハンガリー語の成立に貢献した作品は,宗教改革の末期に出たカーロイ・ガーシュパールによる聖書の翻訳 (1590) である。一方,この時期に世俗の文学は土着の口承の伝統を脱し,16世紀末には最初の指導的人物,詩人バラッシ・バーリントが登場した。愛とナショナリズムという2つのテーマを融合させるバラッシの手法は,19世紀の偉大な詩人ペテーフィ・シャーンドルを予見させる。
17世紀には,ハプスブルク家の統治下に入ったハンガリー西部で,バロック文化が開花した。パーズマーニ・ペーテルは反宗教改革派のなかで最も傑出した作家であると同時に,バロックの推進者で,思想,文体両面で影響を与えた。 17世紀最大の詩人は,大叙事詩『シゲトの危機』を著わしたズリーニ・ミクローシュである。 18世紀には,ハンガリー全土を支配したハプスブルク家のドイツ化政策下でハンガリー文学は衰退したが,まもなくフランス革命の思想的影響下に民族的覚醒の情熱に燃える世代が登場し,国民文学復興の機運が生れた。ベシェニェイ・ジェルジュはハンガリーに啓蒙思想を導入し,古典的な形式で表現したベルジェニ・ダーニエルと,ハンガリーの伝統にのっとった才能あふれる抒情詩人チョコナイ・ビテーズ・ミハーイが詩の復興に寄与した。カジンツィ・フェレンツは,長年にわたり幅広い国語改革の推進に貢献した。
19世紀に入ると,民族独立運動は一段と激化し,それに伴って民族主義的ロマン主義の文学が興り,悲劇『バーンク・バーン』 (バーンはハンガリーの高官を意味する) を書いたカトナ・ヨージェフ,のちにハンガリー国歌となった『ヒムヌス』を書いた詩人で政治家のケルチェイ・フェレンツ,ロマン主義最大の詩人ベレシュマルティ・ミハーイが現れた。 1840~50年代になると,ロマン主義は衰退して写実主義が台頭し,2人のハンガリー最大の詩人が活躍した。ペテーフィ・シャーンドルは情熱的で,知性に頼らず,力強く,革新的な詩人で,革命への情熱を直接的で単純な言葉で表現したすぐれた詩を書いた。ペテーフィの友人でもあったアラニュヤーノシュは,直感ではなく,自分自身を詩から距離をおいた慎重な詩を創作した。マダーチ・イムレは宗教,哲学の問題を扱った『人間の悲劇』 (1861) の作者として知られている。小説は,19世紀初頭には文学のジャンルとして確立されていたが,本格的な小説が登場したのは写実主義が台頭してからのことである。その先駆となったのは,エトベシュ・ヨージェフの初期の政治小説である。続いて登場したケメーニュ・ジグモンドは,悲劇的で総じて陰鬱な心理小説を書いた。ハンガリーで最も人気のある小説家ヨーカイ・モールは,ロマンチックな要素のある皮相的ながらもおもしろい小説を書いた。ミクサート・カールマーンの風刺小説は,ハンガリー社会のさまざまな階層間の関係と争いを描き出した。
20世紀に入ると,象徴派詩人アディ・エンドレを先頭に,ハンガリー文学はめざましく開花し,数々の実りある作品を生み出した。アディは斬新で荘厳なスタイルを特徴とするすぐれた抒情詩人で,左翼文芸誌『西洋』に集った作家集団の精神的指導者でもあった。詩の翻訳は一般に困難であるが,アディの言葉はとりわけ翻訳がむずかしく,アディをはじめとするハンガリーの詩人の国際的な評価と影響は,理解されやすい言語で書かれていればもっと大きなものであったと思われる。アディに続く詩人としては,傑出した知性派で人文主義者のバビッチ・ミハーイ,ハンガリー最大の印象派詩人コストラーニ・デジェー,独創的で憂鬱な抒情詩人トート・アールパード,ハンガリーの伝統に深く根ざした印象派詩人ユハース・ジュラがいる。『西洋』派の散文作家のなかでは,写実的な短編,長編小説で,登場人物の性格を効果的に描き,多くの社会的テーマを扱ったモーリツ・ジグモンドが傑出している。カリンティ・フリジェシュは風刺とグロテスクな要素を多用した短編を書いた。第2次世界大戦の前後には「民衆派」の作家が活躍した。イエーシュ・ジュラは過激派の農民作家として出発し,のちにハンガリー詩壇の長老として君臨した。プロレタリア作家ヨージェフ・アッティラの詩は,沸立つ感情と知的で理性的な思考との葛藤を描いている。ラドノーティ・ミクローシュはナチの強制収容所で死亡する直前に簡潔で悲劇的な詩を書いた。ネーメト・ラースローは重要な心理小説家であり哲学者で,国際的にも広く知られている。デーリ・ティボルは影響力のある社会主義作家であったが,戦後は体制批判の立場に転じ,1956年のハンガリー動乱に関係して投獄された。戦後に登場した若手作家のなかでは,ピリンスキ・ヤーノシュとナジ・ラースローが代表的である。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハンガリー文学」の意味・わかりやすい解説

ハンガリー文学
はんがりーぶんがく

ハンガリー語(マジャール語)で書かれた初期の文献(12世紀末から15世紀ごろまで)はほとんど宗教的文書で、真の国民文学の歴史は16世紀の叙情詩人ズリーニに始まる。18世紀のハンガリーはオーストリアの統治下に入り、そのドイツ語化政策のため、国民文学は一時沈滞の傾向を示した。しかし、フランス革命の影響は、東欧の被支配民族の間に民族独立の気運をもたらし、とくに文学の面では新たな国民文学の勃興(ぼっこう)となって現れた。その先駆者には、劇作家ベッシェニェイ、詩人ベルジェニ、評論家カジンツィ、叙情詩人チョコナイらがある。19世紀の前半はハンガリー国民文学の黄金時代で、史劇のキシュファルディとカトナ、叙事詩のベレシュマルティら、民族主義的ロマンチシズムを代表する優れた文学者を輩出した。そのなかでのもっとも大きい存在は詩人ペテーフィで、彼の叙情詩は今日までハンガリー人のあらゆる階層に愛唱されているだけでなく、国際的にも広く知られている。

 ペテーフィが自ら参加して戦死を遂げた1848~49年の独立戦争は、ハンガリー側の敗北に終わる。その後のオーストリアの圧制下で、ハンガリーは文学の面でも前代の明るさを失い、悲劇的なテーマの作品が多くなった。この時期のおもな作家には叙事詩のアラニュやマダーチがあり、苦難の時代に国民文学の伝統を守り続けた。67年のオーストリア・ハンガリー和約でいちおうの自由を取り戻したハンガリーでは、多面的な小説家ヨーカイやミクサートが出て、その時代を反映した闊達(かったつ)な民衆性によって広く愛読された。このほか、劇作の方面でも、シグリゲティ、チキらの民衆喜劇が人気を博した。20世紀初めには、詩人アディを中心とする雑誌『西方』派に属する作家のバビッチ、コストラーニや、レアリズム文学のモーリツらがいて、両大戦間のハンガリー文壇に現代の西欧文芸思潮を導入し、若い世代に大きな影響を与えた。このほか戯曲家のモルナールが、国際的な人気作家として活躍し、その作品は欧米諸国や日本の劇団で上演された。

 第一次世界大戦直後にはクン・ベラの共産政権が成立し、ルカーチ、バラージュらの文化人もこれに参加したが、革命の失敗で国外に亡命した。両大戦間の時代には、前期の西方派作家たちのほか、カリンティ、マーライら多くの作家が活躍し、夭折(ようせつ)した詩人ヨージェフのような異才も出ている。第二次大戦後のハンガリーでは、この国の社会体制の変動に伴って、一時期は文学にもかなりの動揺がみられたが、その水準は戦前からの社会派作家ネーメト、イエーシュ、デーリや、文学史家ルカーチらの多面的な文筆活動によって保たれた。

 1960年代後半、ハンガリーは、ほかの東欧諸国に先駆けて、上からの自由化が進み、文学の面でも、社会体制のなかで葛藤する個人を描く作家、シャーンタSánta Ferenc(1927― )、フェイェシュFejes Endre(1923― )らの作品が次々に刊行された。また、戦前からの叙情詩人、ベレシュWeöres Sándor(1913―89)を筆頭に、50年代に登場したナジNagy László(1925―78)、叙事詩人ユハースJuhász Ferenc(1928― )ら、詩の伝統も失われていない。

 最近のハンガリー文学は、前記の作家らとともに60年代に衝撃的な作品を発表し、その後も体制に抗して地下出版として作品を発表し続けた、社会派のコンラードKonrád György(1933― )をはじめ、言葉と心理の乖離(かいり)を穿(うが)つように描くナーダーシュNádás Péter(1942― )やポスト・モダンの旗手エステルハージEsterházy Péter(1950― )、戯曲作家でもあるシュピローSpiró György(1946― )ら、多彩なものとなっている。

徳永康元・岩崎悦子]

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